19年前に63歳で
くも膜下出血で倒れて
脳の手術を3回した母、
くも膜下出血になった場合
3人に1人は命を失うといわれている中で
ICUから一般病棟に移り、
リハビリを重ねて
退院することができました。
残ったのは記憶障害
昔のことはわりと覚えているけれど
短期記憶と数字が最後まで難しかった。
一瞬、一瞬、諦めない
生き方上手になって
あなたらしい人生を歩こう
オンラインサロン「カルドマーニ」
オンライン「幸せ起業塾」主宰
今在るもので運命を変える
ライフナビゲーター 秋吉のりこです
遠距離介護している実母のこと
管理している実家のことを書いています
退院してからは
頭の方は難しく
1人では何も考えられない
させられないという状態でしたが、
身体は元気で
すごくシャキシャキと歩いていたし
見た目には
何も困ってない人という感じで、
母が倒れたストレスから
リウマチや帯状疱疹を発症して
身体を動かすのがつらい父の
正常に働く頭脳と、
身体は元気だけど
頭で考えて行動するのが
難しくなった母の、
凸凹コンビで
老々介護を数年
頑張っていたんですよね。
その後
父が亡くなり
私にできることは限られていたので、
この記事で書いたように
母を説得して
施設入所して貰いました。
(様々な事情があって
ブログには書けない
もう1つの深い事情もあります!笑)
それからしばらくは
母も元気で
元気すぎて!笑
目が離せず
家の中も外も歩き回ることで
見守る私たちにも予想外のことが色々起きて、
心配や不安が
増えた時期もあったんですよね。
そして
そうは言っても
私の中には
母の願いを叶えたいという気持ちも
ずっと頭にあって…
母としたこの約束も
本当に現実になるのか
想像がつかないまま、
でも果たしたいと
忘れずに過ごしてきました。
そして
母の脳の方は認知症も現れ始め、
遺品になる前に
一緒に整理したい
残しておきたい思い出だけを選んで、
母の気持ちを少しでも
理解していたいと思って
片付け作業を一緒にして、
「あと少しで
先が見える状態になるかも」
と思った途端にコロナ渦へ。
ずっと待っていた
実家のお片付け再開の時期。
コロナ渦で気になっていた実家の片付けも
今年のGWにまた再開できて
そのすっきりした部屋を見て、
「あ、私
母のことを
この家でできる日が来る」
爽やかで嬉しい気持ちが湧いて来たんです。
それを夫に言ったら
「いいんじゃない
行ったり来たりしたらいいし
2拠点生活できるね我が家は」と!
夫があと数年で
会社を退職になる時期でもありますが、
(契約社員として残る可能性も大きい)
と言いながらも
今も会社の仕事の一部は
オンラインでし続けているし、
私も仕事はオンラインでできるし
子供たちも
ずっと一緒に暮らさないかもしれないし、
なにより
家族のだれもが
家のことを分かって
家族のことを支え合って
家事も分担してきたこの数年が、
家族の暮らし方・生き方を
自由に
選べるように
変えてきたんですよね。
だから
「先のことで、どうなるか分からないこと」
そういう感覚ではなくて、
「できる時にはしたらいい
タイミングが来たらしたらいい
したいことをしたらいい」
そういう感覚になりました。
へんな言い方だけど
下半身が弱くなって
母も少し動きが難しくなって、
だからこそ
安心して見守れる体制を作れる
それを想定できるようになりました。
そう思うと
実家の中の空気も
活き活きと動き出したように感じて、
母にも
「お母さん、片付けの続きしたからね
いつかまた一緒に住む?」
って聞くと、
「うん、私家に帰る」って
力強く嬉しそうに
返事してくれました。
この希望が母の
生きる力を増やしてくれるでしょう。
私も
これを実現するために
頑張りたいと
心に新しい炎がまた1つ灯り始めました。
私が願っている
「この家族でよかったと
みんなが幸せを感じる生き方」が
少しずつ近付いてきたようです!感謝




