離婚の時が最初でした。


占いに関しては、子どもの頃から慣れ親しみ、それは私のエンタメ性のところとも関わってくるのですが、大人になり社会に揉まれてからはすっかり遠ざかっていました。


それが、人生の上で、この選択だけは間違ってはいけない、という場面での後押しを、

親しい人・信頼できる人というだけでなく“誰のせいでもない”という状況を作ってもらえる…それが占いという手段でした。


それから、引越しの時や、仕事上の大きな判断を迫られる時などでお世話になってきています。



今回も、思うところがあり、至急で対面鑑定お願いしました。


その中身はこちら↓に書いてくださったので、もしご興味持たれましたらお願い


この時の鑑定結果以外でも、あれこれやり取りをしていて、大谷翔平選手の話が出たのも印象深く。


自分よりも多方面な知識を持つ人との会話は情報量が多いですね。


本の話ではあったのですけど、それを聞いて思い至ったのが、


最終的に運や結果などは自らの力で選び取るのだけども、そこに余計な思考(特に不安要素)はいらなくて、(不安要素があるならばそれも踏まえた上で)完全に自らの意志によって掴み取る、


という感覚でした。


「選択ってそういうものでしょ?」と思う方はわかっておられてokで、


「そうは言っても自分の選択で失敗したくないからなぁ」と思う方はたぶんこれまでの私とお仲間です笑ううさぎ


良く言えば、

思慮深い、考えて動ける、頭が良い…etc.


悪く言えば、

失敗を怖がっている、自らの欲しい結果を産む自信が無い(←実際にしていないことが多い)…etc.



「貴女は頭が良いから」と何度と言われてきて、嫌だなと思いながらも、考えてしまうのは仕方のないことなのかと思っていました。


だけど、ある種、変な余裕があったのだろうと思います。

余裕というか、暇かな?


考えただけの結果にあれこれ理由をつけたり更にその先を考えてしまうという行為。


これは、たぶん並の人ならそういう時間の使い方・生き方もひとつだと思うのですが、何かを成そうとする場合は、まさに「そんな暇はない」という話。



“諦めの良さ”みたいなのも危険ですね。


今、若い人たちと時間を過ごしていて痛感しています。


昔よりも情報が多いから、容易に諦められてしまう。

諦めずにもがくことが格好悪いことのように感じてしまう。

etc.


あるいは、相手に期待ができなくなっている。


でもこれも、変な考え癖が生むものだとも思います。


更に複雑なのは、余裕が無いから時短しようとして情報を受動的に得て、結果自分はこの程度、あの人もこの程度、などという謎の評価軸ができてしまっている傾向でしょうか。


…話が逸れましたが。


自らの力で選び取るには、

あり得ないことや一般的などこかで聞いた話的なものに左右されることなく、

欲しい結果に至るまでに必要なことをできるだけ自分にシビアに考えて判断すること、

かなと思うようになりました。



実は既に始めていたあれこれ。


深くは考えてなかったんですが笑ううさぎ


序章みたいなものでしたね…


このあたりについては、また追々です。



願わくば後悔無く、ワクワクする生き方、先が楽しみな生き方、を。


自分でもそうしようと思いますし、

それをシェアできるようになりたいなというのが今の目標です。

(自分に厳しく言うならば、ちゃんとした見本になれること)