学生時代は心理学に近い領域に触れ、
会社員時代はマネジメントやコンサルティングを役職とし、
自営業になってからは指導者という立場を経験してきました。
結果、人のことはよくわかるのです。
でも自分のことを一番知らない。
もちろん、私のような道を歩んでも、自分のことも含めてわかる方もいらっしゃるのだろうと思います。
ただ、私が極端に自分を後回しにしてきたツケでした。
そしてそのことに気づいた時に、所謂“フロント”に立つことに自信を失くしました。
もともと貧弱な背景から来ていたものだったので、崩れてしまえばあっという間です。
多くの場合は、ここでめげてしまうのかもしれません。
でも残念ながら諦めが悪い。
そして幸いにも、貧弱でも背景にしてきたことからも、お咎めが無いところまで来たと感じていて。
そして自分的に最も勇気がいったであろう、
「人を頼る」ということ
「結果がわかっているからと避けてきたことを見直す」ということ
ここに漸く辿り着いたところです。
でも漸くですが、「ここを認められたら早い」というのもわかってはいて。
他人には容易にアドバイスしてきたであろうことでもあります。
つまるところ、
自分を後回しにするという扱いは、可哀想とか自虐とかそういう話では無く、
「特別では無い自分を特別視したいがための行為」だと意味付けました。
意味付けるというのは、理解したとかわかったとかそういうこととはまた異なります。
理由などはどうでも良い場合に、意味付けという作業は便利なのです。
そして合わせて、「特別では無い自分だが限界をまだ知らない」とも設定しました。
「人の可能性は無限大♪」みたいな能天気なことを言うつもりもないのですが、
まだ自身の限界を知るところまで来ていないならば、まだそこは限界では無いということと考えるのです。
けれど限界を知るところまでやってみる、ということを一人ですることはリスキーです。
時に命の問題にも繋がることがあります。
わかりやすいのは、若い頃によく言われた、「自分のお酒の限界は若いうちに一度、安心な場所で試した方が良い」というような話ですかね。
これはまだ、数値でもわかりやすいですし、お願いすればどこか医療機関で、リスクを冒さなくても判定できるのかもしれません。
ただそういったある程度計測ができることばかりが全てでは無いのが人間の営みですね。
話が少し曖昧になりましたが、、
今は、自身でブレーキをかけてきていたことの限界を知る作業をしています。
予想してきたところを超えていく時は、非常に緊張します。
安全装置を外す作業でもあるので。
ただ、安全装置と思っていた域がフェイクだったりするのもままあるようです。
もう少し、わかってきたら、事例として話せるようになるかなと思っています。
最近は、レッスン指導は最小限に、作品公開や人前で踊るということは当面予定にないのですが、
会話による諸々のシェアや疑似体験の場を取っています。
ホームページやLINEオープンチャットに開催時はお知らせしていますので、ご興味持たれたらご参加くださいね。