そうやって考えると、江口はお嬢さん方の犠牲から成り立っていたのだということを、やはり見て見ぬふりはできなさそうです。


私が研究生の時はピークの終盤で、綻びが出てはいたのでしょうけれど、まだ若かった私にはそれを捉えることはできなかった、


そしてそれは仕方なかったと思います。



実際振り返れば…と思うことがたくさんあります。


まさに芸能界や角界と同じような形で成り立っていました。


昔はそれでも良かったのだと思います。


それでも確執はたくさん見えていましたし、聞きたくないこともたくさん聞こえてきました。


けれど、知らんふりわからないふりが辛うじてできていた、


数の世界もあったためだと思います。




そこから変わったのが今のバレエの若い人たちなのでしょうね。


非常にその部分についてドライで、ほぼ数値化されるので、月謝いくら、発表会代いくら、衣装代いくら、謝礼いくら、etc.というのがバンバンと出てくる。


それを高いと私は感じてきたけれど、そこにボランタリーで動く人がいなければたぶんそれくらいはかかってしまうかもしれないです。


きちんとビジネス、自分の仕事、パーソナルな仕事と考えている。


ならば当たり前というか、その講師個人の技術に対してのことなので。



そこをボランタリーで頑張って、指導する先生たちと保護者が動き回って生徒たちへ奉仕するならば、たぶんそこはかなり変わってきます。


この後者を私は見てきてしまって、そのボランタリーの部分が“自然発生のもの”だと思い込んでいたから…



こうして、バレエ系の習い事は高いもしくは奉仕がきつい、ということになるんでしょうね。


一方の今の流行のダンス系はそういうのが無くてもできるので、たぶんそちらの方が今の方たちには受け入れられやすいのだと。



でも中身を見た時に、好みはわかれてしまう。


高いのも奉仕も嫌、でも中身はバレエ系がいい。


…ワガママ?でもそれも大切な感覚だと私は思うのです。



それで法人を作って他で利益を上げて教室に補填すればうまくまわるのでは、と思ったけれど、私一人で営業と指導をするのは不可能でした。



それでは…というのが、結局、奉仕寄り。


でも「特定の誰かの犠牲」ではなくて、やりたい人たちがみんなでそれぞれ負担していきましょう、という形。


これが果たして成り立つのか?


また、発足時点の人たちの想いが後の人たちにも共有されるのか?


…課題はたくさんあります。


でも、課題をハナからわかっているので、そこをきちんと明確にしていくことをすれば何とかなるのではという思いもあります。



全てに理由がある…


その理由が良いとか悪いとか、小さいこととか大きいこととか、関係なく、理由の無いことの方が少ないのですよね、きっと。




これまで活動してきた福島区も、こんなにもスポーツをするのに厳しい環境なのかと、外と比較してみて初めて知りました。


バレエ教室が少ない理由も、仮定してきていた理由も外れてはいなかったけれど、もっと根深いものだったんだなぁと。


文化芸術って、、



文化芸術スポーツって、当たり前にあるものだと思っていたけれど、違うんだな。


欲しないと出て来ないんだ。


そして知らないと欲することすら起きないんだ。