現在、自称数パーセントの活動量の私です。

(昨日の話より)



それでも、生徒さんやメンバーと向き合うとそれではおさまらず瞬間的に上がって、また下がります笑

(どれくらいのテンションが楽なのかを模索中。。)




私は自身が猛烈にネガティブで自己評価が低く生きてきた経験があるので(今も調子が悪いと顔を出しますが)、そういう同じ様子の方と出会うと、私がなんとかなっているのだから大丈夫ですよ、という話になります。


だから、わりとしんどい方とか所謂難しい方とのお付き合いが一般より多いみたいなのですね。


その方が変わりたいとか楽になりたいとか、そういう芯があれば、そういう方とお付き合いすることはやりがいがあることだと思うのです。



今日もなんだかたくさん語ったように思います。


身体を動かしてもらいながらだと、心もほぐれやすいのかな、なんて思ったりもします。



即座の答えを求める方には嫌われがちですがうーん


たぶんそういうことがわからない方とか、私のことを優し過ぎると言う方は、たぶんすごくしんどいことに遭遇したことが無いか、逆にしんどいことの真っ只中過ぎる方かな、と思います。



で、しんどいことを経験して、回復期に差し掛かっているような方が、たぶん変わろうという力が自然と出てくるんだと思うんです。


口で変わろうと言ってみることと、心から変わろうと思うこととはまた違って。


それは行動に移せるかということなんですけど。



それをスパルタ的に引っ張っていって行動させるという方法ももちろんあって、そちらの方がカリスマ的っぽい気もするんですけども、本来的に私はそこまで良い人なわけではなく。


向かってくる人には手を差し出したいけれど、向こうを向いている人はそっと見守る感じ…まあ、冷たい方だと思いますよ。


でもそうでないとたぶん、また躓いたりするような気がするんです。


結局“自力”をどこかで身につけないといけないから。


だからそこまで突き詰めたら優しいのかもしれないですが、表面で優しいと言う方は苦労のない方だなぁと、やはりそうなるのですにやり



まあ、苦労せずに生きられる方が幸せは幸せなんだろうと思います。


でも苦労した上で幸せを掴もうというのは、それはそれで劇的ではないですかキラキラ


それだけ人間的に豊かになれるということではないかと。



そう思って、「また苦労ばっかり…」と言われつつも、ほっとけないのは、性分というか、それもお役目かなとどこかで達観状態になっていそうな感じです。


これが最終形なのか、またそこから「いやいやそうではなくて」となるかは、自分でまた経験を重ねて、歳を重ねて見えてくるんでしょうけども。



ありのままでいられることをせめて好きな時間を過ごす時くらい、許してあげて欲しいな、とそう願います。