なんか、読んでて思ったのは、
「あれ?もしかして苦しくなってもいいー?」 って。
子供の頃からかれこれ30年以上パニックだけど
「死んではいけない」「間違ってはいけない」「他人を不機嫌にしてはいけない」
「病気になるのは間違いだから早く変えなければ」「いつも元気で活動して、笑っていなければおかしい」
とかとか そんな意識で固まってきてた。
パニックが起こるようになってからも、
「こんな私は間違いだ」って 止めよう消そう変えようって、 自分のありのままの声を聞かずに消してた。
そして事あるごとになんでも、周囲の年長者とか他人とか、どこかの先生とか・・・ に、
「これでいいですか?正しいですか?なにをすればいいですか?」って許可を求めに行ってたような。
自分は間違っている、劣っている、変えなければ・・って思い込んでるあたりが苦しかったんじゃーないのって。
それでいて、その聞きに行ってた相手が「あなたは魅力もないし、おかしいし、常に間違ってるよ、だから言うことを聞け」って言ってくると、どこか納得できない、不愉快に感じる。っていう。
自分を知ってるのは、自分だった。
だからいちいちちゃんと反応してたんだ。
そっちじゃないよ、その考えは自分と合ってないよ、あなたはそれじゃないよ、あなたはそういう存在じゃないよ、っていう時、不快な状態が起こる。
今もパニックで苦しくなると、 苦しい自分は認められないーー ってじたばたする。
でも、それも含めて、慌てる自分も消さなくてもよくて。
思い出すだけなのかな。
なにかや誰かになんとかしてもらおう、って頑張らなくてもそもそも
力まなくても、そのままで。 全てある、って。
だから、他人が あなたは間違ってるよ、って言うのも自由で、私には受け取るのも、受け取らなくていい自由もあって。
好きな方を選べる、って思い出せれば、従わなくていいってわかれば、自由でいられたら、こだわりもなくなるのかなー。
いろんな思い込みがあるなー。
エイブラハムの「オールを手放してください」 みたいな感じで 上流に漕がずに自然に下流へ下るだけでいいんだな。