特別企画 番外編③ 能の道具 其の七 | 能meets

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観世流能楽師 林本大による
わかりにくいからこそ面白い能の、わかりやすく「濃密」な講座。
「能が皆さまに会いに行く」をモットーに大阪・東京・高知・栃木、他(福岡、長崎、札幌)で開催。
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能meetsブログ特別企画

番外編③ 能の道具 其の七

 

道具紹介も最後となりました。

今回のテーマは 「舞う」  

先生から掲載する形での文章が届きましたので、そのままお届けしますね。以下、林本先生の文章です。

 

 

 

 

能の解説でよく、「~そしてその女は、恋しきあの男を慕って舞を舞い、やがて姿を消すのでした。」
とか 
「神の姿で現れ、この国の平和を愛でて舞を舞い、この世を寿ぐのでした。」
とあります。能に興味を持ち出していたかつての私には、ここがちんぷんかんぷんでした。
「舞を舞う・・・しかもほぼクライマックスで・・・。」
我々は普段、誰か恋する人を想う時に舞を舞いませんよね。

能の殆どの曲は、後半(前半もたまにありますが)の終盤に差し掛かった時に、「舞」と言われる部分があります。これは地謡によるセリフなしに、笛や小鼓などの「囃子」と呼ばれる楽器演奏だけで、主にシテ(主役の事)が形式的な所作をして演じる事です。
ミュージカルやインドの映画でも、一番のクライマックスで急に皆が踊り出しますね。その間は、セリフがないのでストーリーが展開している気がしないですね。

能の舞にも色々種類があり、例えば「高砂」では
「神舞」という、スピード感があり颯爽とした舞。そして殆ど同じ動きですが、「井筒」では「序の舞」という非常にゆったりとした優雅な舞が挿入されます。

「舞」にどのような意味があるのか、詳しい説明は、いずれ能meets、特に予定をしていた「融」の時にでもお話したいと思いますので、ここでは省略します。

舞を舞う時に使うのは主に
「扇」。

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扇にも2種類あり、閉じた時に先が開いている「中啓(ちゅうけい)」と、先が開いていない「鎮扇(しずめおうぎ)」があります。
中啓は、皆さんにとってはお寺のお坊さんが持ってるイメージでしょうか。

 

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中啓は装束を着けた時に使用します。少しでも扇が目立つようにされてるのでしょうか。
一方、装束を着けていない人、例えば地謡や後見、装束着けずに舞う「仕舞」などは鎮扇を使います。
中には装束着けていても鎮扇を持っている時があります・・・是非皆さん今度気を付けて扇をご覧になってください。


話を「舞」に戻します。

「高砂」ならば若く颯爽とした住吉明神が、後半に「神舞」を舞いますが、その時は中啓を使います。
舞も勿論、動きや囃子の演奏はきちんと決まりがあり、舞台がある度々に一から皆でどうするかを話し合う事はまずありません。
しかし、申合(いわゆるリハーサル)の時に囃子の出演者から「舞はどうしましょう?」と尋ねられるのです。
その時尋ねられた主役の演者は、
「三段でお願いします」 
「カカリ二段でお願いします」

等と答えます。

実は、今申し上げている舞は、いくつかの「段落」から出来上がっています。その段落の数を尋ねられたわけですね。
「三段」「五段」など、段落を我々は「段」と呼んでおり、最初の段落は「一段」ではなく、いわゆるゼロ段であり、それを「カカリ」と名付けられています。
つまり、「三段」といえば、「カカリ、初段、二段、三段」の四段落あるということ。「カカリ二段」といえば、カカリが済んだら二段に飛ぶということで、「カカリ、二段、三段」というわけです。
でもお客様には、観ていても今どこの段落なのかが分からないですね。それを示すのが、「扇」なんです。
例えば神舞の三段を舞うとします。


最初の段落、つまりカカリの時は扇を閉じています。シテがその扇を広げるとそこから「初段」に段落が変わります。それがやがて左手に持ち替えると「二段」、その扇を少し閉じながら右手に逆さに持ち替えて「三段」。その三段の最中に囃子に向かって扇を広げると「もう舞を終えますよ」という合図。
つまり、扇の形や持ち方を替える事で、舞の段落が変わる事を囃子に合図を出しているのです。(深い言及は避けますが、他にも足拍子で知らせています)

そう申し上げると、「舞ってアドリブなんですか?」と思われるでしょう。本来はそう、アドリブです。

しかしこれもいつからか定着し、決まった動き、決まった寸法で舞うようになりました。
持っている扇がそのアドリブを助けていたのですね。

昔私の先輩が舞を舞っていて、その時の笛があまりにも心地よく、本番に大変気持ちよくなったその先輩は、本来ならばその舞の終盤で囃子に向かって扇を広げて合図をするべき所を、何と扇を閉じたそうです・・・それを見た囃子はその後どうしたか・・・。これもいずれ能meetsで「融」の特集をする時にでもお話しましょう。


「菊葉団扇(きくのはうちわ)」

 

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これは「菊慈童」という演目で使用されます。この曲にもやはり「舞」があり、700年生きてきた少年が長寿・天下泰平を祝い舞うのです(本当はそんなに単純な物語ではありませんが)。
これは「団扇」の形になってますから、広げたり閉じたりできませんね。ということは、先の例でいくと「段が変わるのを知らせる」事ができません。そうなんです。知らせる事ができません。もっと言えば、知らせなくていいのです。
「菊慈童」で舞うのは
「楽(がく)」という舞。これは実は寸法が決まっており、シテの采配で伸び縮みできないのです。

つまり、能の舞は、扇を持っているものは、本来アドリブ性があり、シテの裁量で自由に伸ばしたり縮めたりできる。だけど、団扇を持っている曲は、そもそもの舞の長さが決まっており、シテの裁量では何も左右されないのです。


分かりやすく例えると、薪能など外の舞台で、扇を持って舞を舞っている時に雨が降りそうになり、やむを得ず時間を急がないといけない時、シテはいつもより足拍子を早く踏んだり扇をすぐに持ち替えたりして舞を早めるでしょう。
でも菊慈童のような「楽」、そして以前に紹介した「弊」で舞う「神楽」は、シテの采配では舞を急に省略したりする事はできないのです。

余談ですが

「枕」 

 

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その「菊慈童」で使う枕です。中国、王の寵愛を受けていた童子が、王の枕をまたいでしまった事から悲劇が始まります。
「邯鄲」という物語では、不思議な夢を見ることができる枕として登場し、この曲のキーポイントになります。この2曲もいつか能meets北浜で取り上げたいと思いますので、皆様楽しみにお待ちください。
 
以上。
見てきたように扇は皆様に舞を見せるものでありながら、舞台内にいる他の演者へ「合図」「指示」を出すものなのです。
 
よく戦国武将が扇で部下に命令することがありますが、もしかすると同じ感覚なのかもしれません。
 
このように、小道具が本当に多覚的に物事を表現したり左右します。
つまりは我々役者がどの小道具を選ぶかで、その能の一部分は左右されるのかもしれません。
 
問題は、その事を役者自身がしっかりと自覚をするということだと思います。
 

 

 

ここまでが先生の文章です。

先生ありがとうございました。

 

長く続けさせていただいたこのブログ企画も次回で最後となります。

始めた時はこんなに長くなるとは思っていませんでしたが…

いよいよ来月から能meetsの講座が再開されます。もちろん色々な状況を見つつとなりますが…

 

もちろんご来場が叶わない方には、今まで通り講座のスタッフレポートは毎回あげさせていただきます。

併せて楽しみにしていただけたら幸いです。

 

 

次回はブログ企画最終回は

お世話になった杉江能楽堂事務局の伊地知さん、そしてその杉江能楽堂のエグゼクティブアドバイザーを務めておられる、金春流太鼓方の中田弘美先生をゲストにお招きした対談をお送りします。