筆者は戦前、ベルリンの日本人学校に通った方、何人かから話を聞き、写真をお借りしてきた。
下はそんな一枚である。「学校前」というキャプションが書かれている。大日本青少年団が学校を訪問した時だという。
子供たちの後ろの制服姿の男子は日本の若者である。
大日本青少年団は1941年から45年にかけて存在した日本の青少年団体である。ドイツのヒトラーユーゲントを手本に組織されたといわれ、それ以前は大日本青年団と呼ばれたようだ。
時代は1936年11月に日独防共協定が結ばれ、両国の連帯が強まった。
彼らの訪独に関し「大日本青少年独逸派遣団記録」という記録が残っている。筆者名は書かれていないが参加者の一人であることは間違いない。
1938年5月25日 東京を出発し名古屋に向かう。その後神戸港から靖国丸に乗船したのは5月26日であった。
「ドイツへ向かう客船靖国丸船上で気合を入れて剣術訓練」という写真が残されている。
フランスのマルセイユで下船したのが、6月30日であった。
団員の乗船した靖国丸一等船客の記念撮影。「6TH JUNE. 1938 VOY. No.21」と白いローマ字が写し込まれている。
彼らは一等を利用していないので写真に写ってはいない。
7月2日 パリからベルリンに向かう。
「猪熊(弦一郎)画伯夫妻の見送りある。靖国丸で1か月間生活を共にしていただけに、ひとしおの愛情を覚えるものがあった」と記す。
7月4日 午後5時直前。 ベルリンアンハルター駅到着。ドイツ青少年指導庁代表、大使館、日本人会、ベルリン日本人小学校生徒等の出迎えを受ける。
歓迎は受けたが、日本に来たヒトラーユーゲントが受けたものに比べるとはるかに慎ましやかであったという。
7月6日 午後4時からティアガルテンのクロル(Kroll オペラハウス)にてドイツ青少年指導庁招待のお茶の会が開催された。日本側からは東郷大使を始め在伯林邦人その他極めて多数の参会者があったが、そこに日本訪問のHJ(ヒトラーユーゲント)と我々一行が招待せられ、両者の意義深く、感銘厚き第一回の会見がここで行われた。
ヒトラーユーゲントはこの後間もなくして日本に向かう。
7月8日
夜は日本人会にて日本飯のご馳走になり、団員一同大喜びである。団員それぞれ芸を発表、日本人会にても「伯林春秋」その他いろいろの珍芸が出る。
一行はいったんベルリンを離れ、再び戻る。
8月10日
本日は日本人会にて在伯林の日本人より、ドイツに関する講話を聞く日である。
講師は大使館、陸軍、海軍、商務館よりお願いする。
9月10日にはニュルンベルクのヒトラーユーゲント大会においてヒトラーの謁見を受ける。
9月22日
三たびベルリンへ。
11時40分に集合してベルリンの日本人小学校を訪問する。
団長並びに学校側の挨拶があり、愛国行進曲を共に唄ったり、教室で小さな生徒たちと話したり、遊んだりする。
全生徒数20人であるが、異堺にいて勉学しているこれらの子供たちの姿は可憐でもあり(略)
子供たちの父兄も多数見えられて、派遣団員は親しく機会をも与えられた。
校門で一緒に記念撮影をした。そして12時40分、子供たちの可愛い万歳の声に送られて日本人学校を辞去した。
冒頭の写真は9月22日に撮影されたものであった。今回参照した「大日本青少年独逸派遣団記録」には写真もかなりふんだんに掲載されているのだが、なぜかベルリンのものはない。これが唯一の写真といえるかもしれない。
メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら (アマゾン)
本編に関連する書籍「第二次世界大戦下の欧州邦人(ドイツ・スイス編) 」はこちら


