間もなくイタリアで開催される冬季オリンピックはミラノとコルティナ ダンペッツォ(以降コルティナ)の二つの都市を中心に開催される。
その内のコルティナは北イタリアのドロミテ山脈の麓にある、ウィンタースポーツの一大拠点である。
今から80年以上前の第二次世界大戦中には日本の陸軍武官室、満州国領事館が連合国軍の進出に対し、ローマから疎開して事務所を構えた。また日本大使館はヴェネチアに事務所を構えたが、家族のみが疎開した事例もあった。
筆者は当時小学生でこの地に疎開した3人の方にお会いして話を伺い、写真を見せていただいた。そして2021年『第二次世界大戦下の欧州邦人(イタリア編)』という本にまとめた。こちら
ここではコルティナの写真を中心にその時代を振り返るものである。今日、テレビ等でオリンピックを観戦する際に、彼らの当時の苦労に、少しでも思いを馳せていただけると幸いだ。
当時の絵葉書。中央の尖塔はサンティフィリッポエジャコモ教会で街の中心である。
当時から裕福な人が訪れるリゾート地で、戦時中はドイツ軍の野戦病院があった。
小学生たちの通学風景。
ドイツ空軍のカメラマンErwin Seegerによって撮影され、おそらく南チロルのドイツ語新聞に掲載されたもの。
撮影のため、カメラマンの要求に応じた光景になったと思われる。
ラジオ体操をする光景。教師は疎開した、もう仕事もない満州国外交官が主に務めた。
「背景の山はポマガニョン山の南壁のよう」とある方が教えてくれた。
疎開中とは思えない母と子供の明るい笑顔が印象的。
左の子供は筆者の本の出版と前後して亡くなったと連絡をいただいた。
写真の右下に「1943 コルティナ・ダンペッツォ 」と手書き文字が入っている。
歴史的価値のある貴重な写真である。
1944年5月、海軍武官室のあったメラーノからヴェネチアに向かう途中に寄ったコルティナと思われる光延東洋海軍武官。
この一か月後に武官は山中でイタリアのパルチザンに襲われ”戦死”するので、武官の生前最後の写真のはずだ。

1945年元旦。ヴェネチアから日高新六郎大使(中央)が来ての記念撮影。
この4か月後、ドイツとムッソリーニ政権の崩壊で、彼らは山中を彷徨う大変な逃避行を強いられた。
これらが今から80年以上前の日本人の姿である。
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