今回は以前に読んだのだがその原典が見つからず、一部記憶を頼りに書くものである。
戦前に世界を一周したビジネスマンが回想録の中で書いていた。
「スエズ運河に差し掛かった時、結局日本郵船の欧州航路の船は、この運河を通れる幅でなければならない。そして北ドイツ・ロイド汽船の豪華客船シャルンホルストの幅が通行出来るマックスである」
靖国丸と共に欧州航路に就いていた箱根丸
コロンブスの卵というか、なるほど理にかなっている。地中海と紅海を繋ぐスエズ運河は1869年に開通した。これによりアフリカの喜望峰周りから、アジアへの航海は1万キロ近く短縮された。開通当時、その運河の幅は22mであった。
多くの船客はカイロで下船して、船がスエズ運河を通過する間にピラミッドを見学して、ポートサイド(エジプト)で船に戻った。(この写真の方よりいただいた)
幅のマックスとされたシャルンホルストは欧州戦争勃発とともに、本国に帰れなくなり神戸港に係留されるが、幅22.50mとなっている。水面部分が幅22メートル以下であれば、甲板部分は少し広くても大丈夫なのであろう。
そしてこの時の欧州航路の日本郵船の花形船「靖国丸」は幅20メートルである。なるほどスエズ運河を意識した幅かと考えられる。なお郵船では太平洋航路は一回り大きい船舶を使用していた。「太平洋の女王」と呼ばれた「浅間丸」も幅は21.95mであり、スエズ運河を通行できる計算である。これはそれを意識した設計なのか、それとも当時の造船技術ではそれ以上に幅広い船を建造するのは強度等、課題があったのか?
もうひとつ、先の旅行者は書いていた。
「シャルンホルスト等の最新の外国船は速さで日本船を上回った。それゆえ公海で、抜き去っていくこともあった」
こちらも調べると速度は前者が21ノット(40キロ)に対して、後者は15ノット(30キロ)である。
当時このことを指摘された日本郵船の幹部は答えている。
「途中何カ所かの寄港地で、それぞれ一泊以上する欧州航路では、速度差は問題にはならない」と。これはあながちはずれてはいないであろう。
さらには日本人にとっては日本語の通じる日本船で旅行出来るメリットは大きかった。
またサービスにも定評があった。途中、仮装パーティー、デッキでのすき焼きパーティー、赤道祭りなどである。
靖国丸上での仮装大会(この中に写る方から頂いた写真)
当時の日本郵船の絵葉書。子供の遊戯室もあったようだ
以上が、記憶をたどっての考察である。それにしても欲しい史料が見つからないもどかしさ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら(アマゾン)
「日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録 他三編」はこちら




