戦前、戦時中に欧州に滞在した方の日記を親族の方から読ませていただくことがある。最近はもう孫の代の方からがメインである。

戦前ベルリンに駐在した商社の方の日記から欧州航路に関係する部分を紹介する。彼は欧州で戦争が始まる1939年9月までを克明に残している。適宜分かりやすいように筆者の補足を入れる

 

6月12日
U君、いよいよ日本に向け出発する。
夜6時からホテル・エスプラナーデでNYK(日本郵船)招待のお茶会があるのでその方へ一同で出席し、その後東洋館(日本食料理店)へ集まってカカドウ(ナイトクラブ)へ繰り出し最後の宵の名残を惜しむ。

汽車はレアター駅(ベルリン中央駅)から(深夜)1:06出発。U君、元気よく出発していった。日本油脂のK氏も一緒に出発した。

 

(解説)

戦前の日本郵船の欧州航路は日本と、イタリアのナポリ、フランスのマルセーユ、ロンドンを繋いだ。

ただしナポリでの乗降客の主たる目的地はベルリンであった。よって日本郵船はすでにベルリンから、乗客のケアをした。ホテル・エスプラナーデは今は存在しない高級ホテルである。

いわばチェックインも兼ねていて、荷物も預けることが出来たのではないか。

 

筆者は30年ほど前の日本には、帝国ホテルなどにJALのカウンターがあったことをなつかしく思い出した。そこでリコンファーム、チェックンなどが出来たと思うが、今はチェックインはどこでも出来る。

 

U君の利用した列車はおそらくローマ行きの国際列車で、そこで乗り換えナポリに向かった。

 

7月25日

朝11:25 W君とテンペルホーフ飛行場に満州軽金属(株)Y君を見送る。
伊太利の旗の付いた大きな飛行機。定刻20分位遅れて霧雨の静かに降る中を、静かに離陸して間もなく空に消えた。ローマまで直行し、ローマから陸路ナポリに至り、29日乗船するという。

 

(解説)

彼は当時珍しい飛行機でのローマ入りである。イタリアの旗が付いていたのでイタリアの航空会社だと思うが、あのアリタリア航空は戦後1947年の設立である。1930年代はアラリットリアとALI(親会社はフィアット)の2社があった。

 

8月17日
眠いのでおそく出社。T君もまもなく出社。昼は日本人会で最後の会食をする。(7名)の諸氏(名前省略)。

午後4時40分 アンハルター駅にT君の出発を見送る。ミュンヘン行きのFDツーク(1990年代に姿を消した急行列車)である。ミュンヘンで乗り継ぎ、伊太利へ直行し、ローマで用達をし、27日、榛名丸に乗船する由。
 

(解説)

榛名丸は予定通りにナポリを出港後、紅海にさしかかった時ドイツ軍のポーランド侵攻の知らせが入る。9月1日である。すんでの所で欧州を出て、9月30日に神戸に入港する。

以降は欧州航路は不規則に運行され、それも1年ほどで閉鎖となる。

 

榛名丸と同型船の箱根丸

 

筆者はいつかこうした先人の日記の内容をまとめることが出来ればと考えている。

 

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