先日軽井沢の「旧アーガル別荘」について書いた際に、「作家の北杜夫が1964年から73年くらいまで夏の間利用した」と書いた。
北杜夫といえば、遠藤周作との交友が両者によって面白く書かれ、一世を風靡した。軽井沢を舞台にしても遠藤周作の別荘に北杜夫が毎晩のように訪問して、高級なウィスキーを飲み干してしまった具合である。
その遠藤の軽井沢の別荘について書いたのが、軽井沢に暮らしたカメラマン幅北光の『軽井沢ものがたり』である。それを筆者の補足を入れつつ書くと以下の様になる。
軽井沢と遠藤周作との関係は、1944年に信濃追分に病気療養中の堀辰雄を訪ねたころに始まる。幅北光によると遠藤が戦後、フランス留学から戻って最初に軽井沢で過ごしたのは昭和37年(1962年)である。
旧軽井沢の通りに高柳喜勝さんという人が不動産屋を営んでいて遠藤に別荘を世話した。この不動産屋は「マルヨシ不動産」で1951年から旧道で不動産屋を営み、多くの別荘を管理している。現在の社長髙柳喜一さんは2代目だ。
彼が翌年に世話したのが天野景康という人の持ち家で、六本辻の現在の雲場池通りを入ってすぐの洋館別荘番号(ハウスナンバー)は2197番であった。西の隣は正宗白鳥の別荘(2196番)であった。天野景康は医師で後に野口医学研究所の設立に貢献するが、ここは元病院であったともいう。
「野澤マーケット」でも使用した下の「輕井澤別莊案内圖」(1935年 国会図書館デジタルコレクション)によると2197番はまだ建っていないが赤線の先である。1939年頃の別荘地図には天野の名前と共に載っている。その間に建てられたのであろう。
愛宕山の麓の北のアーガル別荘(696番)からは2キロくらいか。
現在その屋敷は、ある生命保険の会社で寮の庭園となっており、当時遠藤さんが過ごした西洋館は、取り壊されてしまった。(本が出たのは1972年である)
2024年現在は駐車場の場所であろう。
そして遠藤はその古い洋館ではなく、脇の小さな山荘に移って仕事をした。戦後の別荘地図を見ると2197番の左側に2197(2)という建物の表記がある。
そして周囲に「まるで、化け物が出てくるような家だ」と語った。するとそれを聞きつけたか地元の開発会社が、別荘分譲地の青図面や説明書等を持ってきて、千ヶ滝の分譲地を買えと勧め、それに従い遠藤は購入を決める。1968年の事であった。
写真を見ると斜面の建物で広いベランダが張り出している。そして北杜夫も遠藤の勧めで千ヶ滝西区に別荘を新築したのが1973年の事であった。別荘を近くに持つほど親しい関係というのは、別荘を持たない筆者には想像が難しい。
またいつから軽井沢に滞在したかは、言い訳になるがなかなか断定は難しいようだ。これは今回のふたりの作家に留まらない。北は1947年に短い間だが最初に軽井沢に滞在したとも語っている。またアーガル別荘を借りる前年の1963年は幅北光の小さな山荘を仕事場として借りて『楡家の人びと』の第2部から3部をここで書いたという。
遠藤も1958年から療養を兼ねて軽井沢に貸別荘を借りていたという説明もある。
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