独裁者ヒトラーはフランスが好きではなったので1940年6月、パリ陥落直後にお忍びで花の都を訪問したのみである。ヒトラーに心酔していた駐独大使大島浩もそれに倣ったのか、戦時下のパリは訪問した記録はない。

当時パリに駐在した日本人の多くが回想などを残しているが、外交官、軍人、民間人のいずれも大島大使が訪問したことは書いていない。

 

最近駐在員の子供として戦時下のパリを経験した方のお話を伺う中で、「母親が大島大使から頂いたオメガの時計がある」と見せていただいた。商社勤務の父親が大使をパリで何日か世話した際に「世話になるお礼に」と婦人用にオメガの時計をプレゼントしてくれたという。という事は大島大使は戦時下のパリを訪問していたことになる。

(下の写真の時計で、オリジナルのワニ革のベルトはその後交換されている)

 

 

大島大使は1943年12月3日に大西洋、ドーバー海峡に面したドイツ軍の要塞陣地を訪問したことは「映像に残る欧州邦人」の中で紹介した。その際に大使はベルリンからはパリまでの国際列車に乗り、そこからドーバー海峡へ国内の列車で向かったことが考えられる。(映像は列車から降り立つところから始まる)

そして中継地パリにはしばらく留まったのだ。ただし冒頭に述べたように、誰もそこのことを書いていないという謎は依然残る。

 

『第二次世界大戦下の欧州邦人(フランス編)』はこちら

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら