1800人に及ぶ外国人が疎開した軽井沢は別荘がひっ迫した。いくつかの別荘には数家族が住んだ。そのためかは分からないがホテル、旅館に疎開した外国人も多くいたことはあまり知られていない。以下「在留外国人名簿(外交史料館)」の史料をホテル(旅館)別にみていく。
万平ホテル
戦時中ソ連大使館が疎開したのは有名だが、実際は1944年には箱根に移ってしまったことは拙著でも書いた。終戦時に疎開していたのはドイツ人28名。さらに23名も間違いないと考えるので計51名だ。ドイツ人のエアハルト・ラングは「特権階級は万平ホテルやゴルフコースの近郊など、町の一番いい場所を占有した」と万平ホテルに住んだのは裕福なドイツ人であったと書いている。例えば冬の防寒対策は戸建て別荘よりはずっと良かったであろう。
前述の史料では多くの場合、彼らの名前の他、部屋番号まで分かる。聖パウロ教会のアロイス・パッヘ神父は179号室、幾人かが回想の中で書いている変わり者で独身のウゴ・ステッドフェルト医師は150号室だったようだ。
他にトルコ大使館員(大使以下10名)にイタリア人のヴェルディ一家4名がいた。
以降書籍でお楽しみください。
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三笠ホテル
観翠楼
軽井沢ホテル
ゾンネンシャイン
終戦直後のゾンネンシャイン
藤屋旅館
ニューグランドホテル
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