<終戦直後の軽井沢>
翌朝、まだ丘の上の箱舟(疎開した別荘のこと)で寝ていた時、午前6時に家のすぐ前上で雷のような轟音がして目を覚ました。すぐ木製のシャッターを開けたら上空60メートルの所をP-51ムスタング戦闘機が屋根をかすめるようにして飛んで行った。米軍機の記号がはっきりと見えた。それで戦争が終わったことを知ったのだ。
日本のドイツ人はアメリカ合衆国の占領軍が入ってくることを恐れていた。一般のドイツ人はほとんどが、未知に対して恐れを抱いていた。アメリカ人たちは強力な征服者として到来するのだ。最初の米軍兵士たちとの遭遇が何をもたらすのか考えあぐねていた。
ドイツ人学校ではナチスとのクレル校長が誰よりも一番恐れを抱いていたと思う。自分のマッチョなイメージを培うために、ガソリンの入手がとても難しい時期になっても自分のバイクで街を走り回っているのがよく見られた。
→前後の文脈からして軽井沢でもオートバイを乗り回していたようだ。
全校集会で、米兵がもうすぐ到着するので教科書に書いてある反米プロパガンダをすぐ消すようにという指示が出た。つまり翌日は授業は無しで、一日中教科書のページを切り取ったり、上に絵を貼ったり、文章やプロパガンダをインク塗ったり、ナチスの議題を喧伝したり、アメリカとその同盟国に対する嫌悪感を少しでも示す文章を消すなどの作業をするとのことであった。
あの日のことは鮮明に覚えている。黒インク、編、ブラシ、ハサミ、日本製のお米の糊、などが沢山支給されて机に向かって座った。私の教科書の一冊はあまりにもいろいろ貼ったので、2~3センチくらい厚くなってしまった。
→その算数の教科書には次のような問題が書かれていた。
「イギリス上空のドイツの爆撃機は10秒間に5発の爆弾を投下することができる。では、30分の間に は何発落とすことができるでしょうか?」
書籍化されました。以降は本でお楽しみください。
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