軽井沢訪問時、空いた時間でいくつかの『戦時下の軽井沢』を体験した歴史的別荘を訪問した。
1 軽井沢ブループラークは良い制度だと思うが、今も住居とする方がいるためか、町のサイトを見ても場所は書いていない。
また立派なパネルを門辺りに掲げていないところも多いので、気付かないこともあるし、本当かどうか不安なこともある。
プレートはないが、ここは次の物件のはず。お店のホームページには
「ロシア系ユダヤ人のジーナワットさんの自宅として建てられた趣きある建物を2004年に工房ジオパラダイスによって味わい深くギャラリーとしてリフォーム」と書かれている。
筆者の調査では終戦時のリストによれば次の無国籍者が住んでいた。
無職 ディナ・ワット
商人 ボリス・シドリン
妻 ファニア・シドリン
子供 アレクサンダー・シドリン
子供 ジヨージエル・シドリン
リスト上のディナ・ワットはジーナワットで間違いないから、彼女は戦後もここを持ち続けたようだ。
末っ子のジヨージエル・シドリンは自著に書いている。疎開は一九四三年七月のことであった。
「ディナは万平ホテルの下に別荘を構えていて、我々家族を受け入れてくれた。
2階建ての建物は汚れた道から離れていて、小川の橋を渡る小道を通ってたどり着く」
「旧半田善四郎貸別荘:1912 年から貸別荘業を始めた半田善四郎の貸別荘」
すでに110年も経っているが綺麗に化粧直しされて、何度か前を通ってもその古さに気づかなかった。
2 川端康成の別荘が解体されてしまうとのことで訪問。
1941年に帰国する宣教師から買ったとのことだが、かなりの坂道を登り、最後は急坂。
年を取ってからの訪問はかなり辛かったのではないか。
「環境整備 解体工事中!」と書いてあったので移築作業かとも思ったが、、、
とにかく解体前に間に合った。
3 こんな建物があるのだと驚いた。大正8年(1919年)にすでに移築保存が行われたということか。
道端からだが、建物にブループラークのプレートが確認できた。ここも上と同じ、半田善四郎が所有していたそう。人に教えたくない気がする別荘(笑) 成長した木が撮影の困難。
「永瀬山荘:日本初のアプト式鉄道開通に尽力した永瀬庄吉の山荘。明治 44 年建築の純日本建築の家を大正 8 年に移動さ せた」
この内容は書籍『続 心の糧(戦時下の軽井沢)』に掲載しています。
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