筆者は戦前の欧州で営業していた日本食レストランを調べていて「パリの日本料理店 牡丹屋をめぐって」という記事を

紹介している。こちら

作家三島由紀夫も牡丹屋の長期宿泊者であった。

「あとがき『夜の向日葵』」の中で次のような事を書いている。
「昨年(1952年)3月、パリへ着いて怱々(そうそう)、旅行者小切手の盗難にあった私は、信用調査の手続きがすんで、それが再発行されるまでの間、約一か月パリ滞在を余儀なくされることになった。

私は怱々グランド・ホテルを引き払って、木下恵介氏の厚意で、氏の泊っている日本人経営のパンション『牡丹屋』に移った。こちらはブーロ―ニュの森にちかい中流の中か下ぐらいの人たちの、みみっちい住宅街である。

パリの寒いつまらない3月は、仕事に適していた。パンシオンの部屋には、ときどき木下氏や、 黛敏郎氏や、佐野繁次郎画伯が遊びに来た。木下氏には第一幕を読んで、批評してもらった」

これによると映画監督の木下恵介も牡丹屋に長期滞在した。そして芹沢の書く牡丹屋に住んだ画家のX氏は佐野繁次郎の事か?

拙稿『戦後初の渡欧者を求めて』に書いたことだが、1951年9月8日、日本がサンフランシスコ条約に調印して国際社会に復帰すると、パリには多くの日本人が長期滞在を始める。厳しい外貨制限の中で、彼らには牡丹屋は宿屋として魅力的だった。牡丹屋にとっても食堂よりは安定した収入が見込まれたはずだ。

 

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