表題の拙著で紹介した「満州国の欧州修好経済使節団」(79ページ)と同じ照国丸に乗船したのが、商務官としてパリに赴任する斎田藤吉とその家族であった。三男の暢三が『戦時下のヨーロッパ』という題名の本を2015年に出版している。そこからこれまで書かれていないようなことを紹介する。なお両者の記述で、若干航海の日付が異なるが、暢三は当時の日記を基にして書いているので、こちらが正確かと思われる。
「1938年8月4日早朝、(両親の郷里の)名古屋から大阪に向けて(列車で)出発した。大阪から神戸の三宮まで行き、2時に乗船した。船は日本郵船の総トン数12,000トンの貨客船『照国丸』だった。
見送りに来てくれた親戚の方々と紙テープを投げあったが、テープが多くて誰のものかよく分からない状態だった。午後3時、汽笛とともに船は岸壁を離れて出航しテープも切れ、皆とお別れになった。

船上での恒例の記念撮影。順序はいつも子供が最前列、次いで女性、男性であった。斎田暢三さん提供。
船は瀬戸内海を通って翌日5日、門司に着き、直ちに出航して日本から離れた。海は穏やかで船上の生活は楽しかった。食後にはいつもアイスクリームなどが出され、一番上の兄は『僕たちは王子様になったようだね』とご満悦だった。
夜はデッキで活動写真がしばしば上映されていた。船内の食事は主に洋食だった。子供たちは大人とは別に先に済ませていたが、時には一家そろって和食を食べることもあった。
9月7日、19時ころ船はマルセイユに入港し、初めてフランスの土地を踏んだ」
西洋料理の食事には子供の参加は許されなかった。それが和食だと許されるのは興味深い。
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