アレクサンドル・ミハイロヴィッチ・ヤヌシエフスキー(通称ドンブロワ 64歳)は、勤務する北樺太石油会社で業務上閲覧したソ連邦発行のプラウダ、イズヴェスチャ等の各紙を自宅に持ち帰り、これを在京の白系ロシア人に閲覧させたのみでなく、人心を撹乱すべき事項を流布したとして、警視庁において1944年7月28日検挙される。言論出版集会結社等臨時取締法違反であった。
犯罪事実として、品川区ドイツ系無国籍人ヤコフ・ペトロヴィチ・ロイケル方において同人に対して 同行為を行ったほか、さらに8月頃、鷺山104番で白系ロシア人アレハント・ハリトノヴィチ・カラエフ方において同人他4名の旧ロシア人に対しても行ったとされた。
亡命した白系ロシア人もソ連の発行する新聞を読みたかったのであろう。こうした行為が摘発されるのは日本の警察が、外国人の動向に厳しく注意を注いでいた証左である。
なおヤヌシエフスキーとこれら白系ロシアとは鷺山の同じ住所104番である。(以上『外事月報』より)場所は京浜東北線山手駅から大和町通りを進んだ方向で、グーグルストリートでは2016年現在更地であった。
終戦時に日本に滞在していたルーマニア人は4人だけであった。ニコラス・ラデレスコ代理公使と、逮捕されたヤヌシエフスキーと妻とその娘である。ヤヌシエフスキーは終戦時長野県上水打郡で農業を営んでいたことになっている。検挙後まもなくして釈放されたのであろう。
