1943年9月に設定された、横浜市の外国人絶対居住禁止区域に住むスイス人の中に、一人同市戸塚区に住む人物がいた。名前はアーノルド・ビュートリッヒ(Arnord Wüthrich)、職業は農業と当時としては異色である。
1945年8月終戦時の外国人居留リストでは住所が疎開先の軽井沢2451、ジュネーブを本拠とする赤十字国際委員の部員である。赤十字国際委員は軽井沢に避難してきたスイス人を何人か、人道的見地から雇ったと筆者は考えている。
最近彼の当時の戸塚の住まいが、「横浜市認定歴史的建造物」となっていることに気が付いた。玄関のパネルには1933年頃の建築と書いてある。青が鮮やかだが、だいぶ傷んでいる印象。現在住んでいる人はいない。
坂の途中周りが全て新しい家に変わった中、木造りの青い家が異彩を放っている。そして農業を営んだ畑のあった場所は「ウイトリッヒの森」として市民に解放されている。
またネットから彼の生い立ちを知ることが出来た。
彼は1930年頃日本にやって来た。スイスの機械輸入商社に勤務したので、本国から派遣された駐在員であろう。日本人で津田ひ亭(つだ・ひで)と結婚し、日本が第二の故郷になった。
彼は1930年頃日本にやって来た。スイスの機械輸入商社に勤務したので、本国から派遣された駐在員であろう。日本人で津田ひ亭(つだ・ひで)と結婚し、日本が第二の故郷になった。
戦争勃発の直前、スイスへの貯金の送金が出来なくなって、貯まったお金で大きな農場を買い入れた。これが今の「ウイトリッヒの森」である。そして戦争中は農園で野菜を栽培し、自給自足の様な生活を送る。終戦間際は軽井沢に疎開し、戦後再び戸塚に戻る。
1951年、スイスのシイベルヘグナー社(Siber Hegner)が貿易事業を再開させた時、同社に入社する。1983年戸塚の家で亡くなり、妻も3年後に死亡する。(「ウイトリッヒの森」に住んでいたアーノルド・ウイトリッヒ氏って誰? 「はまれぽCOM」より)


