名前から判断すると、間違いなくドイツ系であるがユダヤ人であった。ゆえに1942年4月、他のユダヤ人と共にドイツ国籍をはく奪された。しかし同じ地番には、戦時下も以下のドイツ人が暮らしている。
ウエリ・ギマデイツー   6A       会社員 家族3
ロバート・シェーヤ     6B       技師  家族1
日本では多くのドイツ人はユダヤ人に、特段敵愾心は持たなかったのではなかろうか?
 
調べたところ、レーベは戦前は日本大通りの歯科医「スズキデンタル」に勤務していた。無国籍では歯科医も開けないので、日本人がオーナーの所で、レーベは外国人の治療を引き受けたのであろう。
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「スズキデンタル」は日本大通7番にあった。
 
今も元町で営業を続ける洋菓子屋「喜久屋」の、戦後の社長石橋久義はセントジョゼフを卒業後、陸軍に入隊する。中国で負傷して1941年12月に、兵役免除となり店に戻る。ある日店の前で懐かしい名前で呼び止められた。

「おい、イシ。お菓子食わせろよ」。セントジョゼフの先輩や旧友、見知った顔ばかりが、なぜか20名ほどもいた。菓子をあげるとみんな喜んでくれた。
「その時は知らなかったけど、(適性外国人となった)みんなは収容所に入れられていたんです。」
 
抑留されていた新山下町のヨットハーバーか根岸競馬場から、たまたままとまって、近くの歯医者に行く途中だった。(『ランドマークが語る神奈川の百年』より)
 
日本開戦直後は、抑留もそれほど厳しいものではなかった。元町から山下町はそれほど近くはないが、この歯医者とはレーベの所ではなかろうか?
 
レーベは終戦は軽井沢1408番で妻ケーテと共に迎える。終戦時の職業も歯科医なので、疎開した軽井沢でも歯科医を続けたか?
 
戦後レーベはアメリカの第8軍の下の「国際救済委員会 (International Relief Commitee Yokohama)」のメンバーとして外国人への物資の補給に関わるが、1947年に4月末で、コミッティーのメンバーを抜けたいと申し出ている。
理由は自分の健康問題と南アフリカへ近い将来移り住むためである。(2022年3月14日追加)
 
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