1942年7月28日の読売新聞の神奈川版におおよそ次の様な記事が出る。 

「晴れて日本人ロバート氏父娘帰化。南区太田町オランダ人ロバート・バンダー・ハイデン(64)氏と長女秋子(41)さんの帰化が昨日、内務省から発表された。

 

ロバート氏はオランダ人の父と日本人の母の間に生まれ、慶応大学卒業後日客社員を経て、現在東洋運輸に勤務。 秋子さんは横浜生まれで、紅蘭高女(今の横浜雙葉)の卒業生。未だ独身で職業婦人として活動。祖父は30数年前、故国オランダに帰国したまま全然消息を絶っている。」 

 

続いて秋子さんの話として

 「こんなにうれしいことはありません。6,7年前内務省に帰化の手続きをとったのですが、いま漸く念願が叶ったわけです。祖国オランダは滅びて私たちは無国籍人となっていたのですが、今度晴れて日本人になったことは大きな誇りです。」 

 

ハイデン氏は日本人との2世だが、新聞の写真はカイザーひげを生やし、オランダ人の風貌だ。オランダ国籍を持っていたが無国籍となった事、帰化には6,7年もかかったことなどが分かる。
 
敵国オランダ国籍では抑留される恐れがあったので、結果的には無国籍であったことは、良かったと言えるかもしれない。また当時帰化できたのは、ヘイデンのような母が日本人というケースが多いようだ。

 

次いで消息の途絶えた父親はどのような人物であったのであろうか?次の女人物がヒットした。

 ファン・デル・ヘイデン(蘭:Van der Heyden, Wilhelmus Hubertus 1844年 - 1894年) 1873年にお雇い外国人として来日し横浜、新潟、神戸で医師活動 1894年、病気療養のためフランスにわたり、その後故郷で亡くなった。(ウィキペディア)

 

外国人と結婚し日本国籍を失った女性が夫の死後、再び日本国籍を得ることも当時は帰化と呼び、ほかにも何例か見られる。 

 

1941年9月19日の読売新聞神奈川版が報じる。

 「ハマッ子ドイツ人 一家4人そろって帰化

中区鷲山(?)91番 ウィルへルム・フェレン(32)、メリ・フェレン(26) あさ・フェレン他が夫の死後、日本籍になった。」 

 

1942年5月14日

 「父子2代の念願 晴れて日本人。ウッド氏英国籍を蹴る。氏は日本人を母とする。」 

 

1943年1月13日 「保土ヶ谷在住、ノルウェー人ラウラ・セシリー・トルネ(47)の帰化が認められた。彼女は世界的探検家アムンゼン氏の姪で日本生まれ。」

 

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら