ゾンダーホフは1929年に来日する。フォークト社で特許を扱っていた。1933年からこの会社の共同経営者となり、社名も「フォークト&ゾンダーホフ」となる。1939年には事務所の所員は40名に上る。
 
娘ウルスラは1934年に東京で生まれる。横浜時代、海の見える洋風の一軒家に住んでいた。
横浜からの退去を命じられ、一家は明治乳業の所有する鎌倉の家と交換する。その鎌倉も去るようにと日本側から指示があり、箱根に引っ越そうとしてリュックやトランクを持って鎌倉駅まで行くと、そこで玉音放送が流れてきた。(『戦時下日本のドイツ人たち』より)
 
なかなか印象的な結末だ。調べると一家の横浜の海の見える家は今の中区根岸加曽台19にあった。また鎌倉の疎開先は材木座1004である。当時、相模湾に米軍が上陸するという噂があり、安心だと思われた疎開地鎌倉を去った日本人もいた。
 
ゾンダーホーフは1947年、家族と共にドイツに帰国させられるが、戦後初めて日本に入国するビザを発給されたドイツ人として、1952年に戻ってくる。今日「ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所」として存続していて、現在も駐日ドイツ人の間ではゾンダーホーフの名前は、かなり知られているようだ。
 
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