262番から264番までブロック状だが比較的大きい。
「ハイコート山手南館」が張り出してきて、その両側に262番と新しいロータリーに沿って263番、264番が残る。
 
ロータリーの中のお宅。
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265番から270番までは狭いブロック状。こちらも旧120番の分割?道を挟んだ両側だが、味のある界隈だ。
266番の煉瓦の遺構?
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267番地Aの洋館に、昭和の文豪谷崎潤一郎が一時住んでいた。関東大震災少し前の話であるが、この家は震災直後に建てられた。
山手267-1番館 木造1階 大正末期建築(住総研 研究論文集No.42,  2015年版)
 
谷崎本人はある所で「折があつたら山手の居留地へ移りたいと思つて居た。」と書いている。若い時代から谷崎は西洋に対する関心が高かったようだ。
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269番
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1943年時点の外国人は以下の通り。
265番 ジョーヂ・プワール (銀行代理人 フランス  家族3)
265番 トランティー・リー (雇人 ベトナム 家族無し)  
267番
カタリナ・ワットナー  (無職 ドイツ 家族なし)
クララ・シャロッテ・ケエラー      (無職  ドイツ 家族なし)
ジェー・エッチ・レボルテ       ( 無職  ドイツ 家族1)
267番もおそらく蘭印引き揚げドイツ婦女子のための借り上げ住宅であった。
 
またこの辺りには敷地境界石がいくつか残っている。

中央に線が引かれ、右に「第二百六十八番地」、左に「第二百六十九番地」と読める。

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新しい壁の間に残る境界石。左が「第二百六十八番」で右が「第二百六十七番」?
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270番が1923年の地図では最後となる。ただし現在は270番は存在しない。北方小学校の一部に編入?

 

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