山手本通りの一角と陣屋坂を下りる右手に連なる番号で、もともと102番であった
ところが、分割されたと思われる。(1923年以前に)
比較的小さな区画が続く。
 
陣屋坂
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手ごろな大きさであったためか、この一帯には1943年、ドイツ人が各地番に住んでいた。
ヴェルナ・デイツエ 246番(会社員 家族3)
ハインツ・クライネルマンス 247番 (事務員 家族2)
カールフリドリッヒ・キルシペテイン 248番(運輸業 家族無し)
周  248番 (料理人 家族無し) 中国人
ルドルフ・ペルシュタイン 249番 (無職 家族3)
 
246番 現在レストラン「山手ロシェ」(1967年オープン)があるが、1923年の地図ではその地番が見つからない。
 
レストランの前にも居留地境界石があるが、これはどこかから移されたもの?
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247番 山手資料館
現所在地に近い諏訪町で牧場を営んでいた中澤氏が、1909年に旧本牧上台57番地に建てた邸宅。当初は和風住宅に洋館が連結した和洋折衷の大邸宅であったが、関東大震災後の1929年に洋館部分を旧牧場地の諏訪町に移築。その後1977年に現在地へ再移築された。(資料館サイトより)
山手のオリジナルではないが、大変貴重な明治期に建造された建築物。(横浜市認定歴史的建造物)
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同じく247番のフレンチレストラン山手十番館。(1967年)馬車道の十番館は同系列。
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お店の前の山手本通りには、居留地境界石が展示されている。
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248番あたり
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Bluff249の文字がしっかり出ている。
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現在マンション「パークシティ本牧」のクラブハウスの建物は、旧山手250番館でアントニン・レーモンドの設計、スタンダード石油の社宅として建てられ、移築された。(ネット上では250番にあったといわれると断定されていないが、筆者は今のクラブハウスを訪問して、そこの資料から断定してよいことを確認した。)
 
現在の250番は横浜インターナショナルグランド。
 
250番には日本参戦直後に、連合国の民間人が1週間ほど収容された。(別稿で取り上げる予定)
 

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