120番から分割された244番は興味深い。
1943年、ドイツ人カール・クライヤ (会社支配人 家族2)が住んでいた。別の資料に拠ればクライヤは長年暖房技術の会社の代表であった。この邸宅が脚光を浴びたのは終戦直後のことだ。
占領軍を受け入れる日本側は、次のような要望に応えなければならなかった。
「最高司令官(マッカーサー元帥のこと)のため、相当の造作と家具および4名の副官・3名の使用人の寝室を有する適当な住宅。
(サザーランド)参謀長他9名の将官のための、相当の造作・家具を備え、かつ最高司令官住宅の近隣にある住宅。」
山手一帯は空襲による被害が少なく、戦前に建てられた内外人の高級洋風住宅の大半が残っていた。そこで受入設営委員会は、
「旭台のC・マイヤー邸を最高司令官用に、根岸滝ノ上の平田穂作邸を参謀長用に、山手244番のK・クライヤ邸および隣接のW・エグチ邸を9名の将官用として調達し、それらの周辺地域にある他の邸宅も、士官用の宿舎にあてる」ことを決定した。(『占領の傷跡 第二次大戦と横浜』より)C・マイヤーは戦前、スタンダード石油の支配人であった。
当時の新聞記事によると、C・マイヤー邸は無人のまま放置され、電灯線などもなくなっていたという。おそらくクライヤ邸も同様であろう。
これらの文章からはこのクライヤ邸が、終戦直後最も占領軍の高官を住まわせるのにふさわしい建物であったと理解出来る。
現在は244番は2棟のマンションが大部分を占め、クライヤ邸の痕跡がないのは残念だ。
公表された2019年公示地価によると山手町244番-9は神奈川県の高価格地点で第5位である。前年はランク外であったので、昨年に売買があったのであろう。今も高級旧住宅地であることは変わらない。
245番も120番からの分割であるが、今は大きなマンションの建設中である。ここにはかつてはヘボン式ローマ字の考案者、へボン博士の住居があった。(1882年から1892年)
工事中の傍らのへボン博士の住まいであった事を語る門柱。これは今後も残るであろう。



