231番は以前からなし。
232番は山手本通りに面した現在の元町公園の一角あたりで、今は存在しない地番。233番も以前から無し。
234番は狭く、234番1の通称「山手234番館」のみ。
1927年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、建てられた。
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設されたという。(同館ホームページより)
232番は山手本通りに面した現在の元町公園の一角あたりで、今は存在しない地番。233番も以前から無し。
234番は狭く、234番1の通称「山手234番館」のみ。
1927年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、建てられた。
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設されたという。(同館ホームページより)
横浜市認定歴史的建造物。

3LDKの住居が四つあった。内部に居住者の変遷を示すパネルが展示されている。

戦時中に関してはかなり空白だが、1943年時点では以下の住民がいた。おそらくドイツ人は蘭印の引き揚げ者で、彼らは一つの住居で共同生活を送っていたと思われる。訪問された方はご存知だと思うが決して広い3LDKではない。
マリア・シユエパット (無職 ドイツ 家族2)
ベルタアニナ・ヴェレステファン (無職 ドイツ 家族無し)
マルタ・ショールマン (会社秘書 ドイツ 家族無し)
ビアトリフ・バアロッタ (無職 イタリア 家族無し)
ハンス・チーゲン (雇人 スイス 家族2)
マックス・ペスタロッチ (赤十字国際委員 スイス 家族1)
ベルタアニナ・ヴェレステファン (無職 ドイツ 家族無し)
マルタ・ショールマン (会社秘書 ドイツ 家族無し)
ビアトリフ・バアロッタ (無職 イタリア 家族無し)
ハンス・チーゲン (雇人 スイス 家族2)
マックス・ペスタロッチ (赤十字国際委員 スイス 家族1)
スイス人のペスタロッチは赤十字国際委員として、日本国内の連合軍兵士の捕虜収容所を視察した記録が残っている。
表上の1942,43年にある渡辺耐三は外交官で、終戦時の駐ラオス日本大使。
また1941年12月8日、外諜容疑者としてカナダ人で語学教師のC.M.バーニーが検挙される。彼の名前は上の「234番館の住人年表」に見ることが出来る。
隣にある235番は 横浜山手聖公会でプロテスタントの教会堂。現在の建物は1931年にJ・H・モーガンの設計で建てられた。横浜市認定歴史的建造物。

1945年5月29日の大空襲で被害を受けた写真が、教会内に展示されている。
中心部が焼け落ちている。

正面横の壁には1945年に空襲で破壊され、1947年に再建されたと書かれている。

