190番台は1923年時点から全く存在しない。
 
200番は元町公園の77番の中にポツンとあった事は77番で説明した通り。さらに200~202番も存在しない。ただし201番はワシン坂を下りていく左側に独立してあったのだが、その頃の門の痕跡らしきものがある。(下)
イメージ 8

203番からは東方面(打越側)に新しい区画として、再び秩序正しく振られている。 
現在は203番はとんどが横浜学院幼稚園で、204番が同じくほとんど横浜女学院中学校高等学校(1921年設立の横浜千歳裁縫女学校が母体)である。 戦時中は地下壕に「横浜港湾警備隊病院」が入った。 
 
横浜女学院の正門
イメージ 1

205番から207番へと少し奥まるった所から203番の横浜女学院へと戻ってくる。そして洒落た家も多い。
 
205番の新しい洋館には風見鶏が備わっている。
イメージ 2
イメージ 3
 
こちらも205番
イメージ 5

206番はロータリーになり複数の住居があるが、206番の門柱が残っている。弐百六番が右から書かれている。戦前の物であることは間違いない。(これはネットでもこれまで紹介されたことがない?)
イメージ 4

この曲線の屋根の家は206番?
イメージ 6

207番
イメージ 7
 
メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら