西から東に向かって地番の振られていった居留地は、176番で東端に突き当たった。その後は居留地を広げるのではなく、これまでの場所の空き地に番号が振られていったようだ。
177番は山手本通りの48番まで戻り、フェリス女学院3号館の奥あたりに小さく取られた。48番で紹介したこのユニークな家があるあたりであろう。

178番はフェリス女学院中学校、高等学校だ。1872年頃、178番に1153坪を借り受けた。その1号館は「この建物こそ、山手の王様」とある本で絶賛されている。1929年築であるので、1921年の地図には載っていない。
壁の鉄平石は関東大震災からの復興の象徴であった。2002年に建て替ええられたが、往時のイメージが残っている。

2号館

校内にある金星太陽面経過観測地点の碑。1874年の事である。(道路から見える)


179番は汐汲坂と山手本通りが交わるあたり。まず目を引くのは日本郵船山手クラブ。
1941年12月の日本の対米英参戦時、次の2名が外諜容疑者として検挙される。
J.Aダルシバ (ワットソン社員 ポルトガル人)
A.C.クレメント (フォード社員 デンマーク人)
その後1943年に住んでいた外国人は、
ゴーゲ・ユリアス・クレメント (無職 デンマーク人 家族2)
上のクレメントは家族の一員であろう?
フロンスラウ・レオニッドベーリン (商会主 白系ロシア人 家族3)

こちらも179番

