かつての121番は88番、横浜雙葉学園の先に飛ぶが、現在は千代崎町。122番は当時すでに無し。
かつての121番あたりのお宅の塀には,かつてキリンビールの工場があった事を語るプレートが埋め込まれている。

123番は現在の北方小学校あたりで同じく現在千代崎町。
この一帯はかつて、天沼と呼ばれる清水の湧きでる地だった。1870年年 、ノルウェー系アメリカ人 ウィリアム・コープランドが「スプリング・バレー・ブルワリー(コープランドビール)」開設した。キリン(麒麟)ビールの前身である。キリン園公園の入り口。キリンビールによる大きな碑なども中にあるが、あまり訪れる人はいない。

公園内、当時の工場の銘版。

北方小学校、校内のビール井戸。道路からもかろうじて撮影可能。

124番は北方小学校裏の山手保育園の先で、124番館として横浜市認定歴史的建造物がある。現存する外国人向け市営住宅3棟のうちの1棟。(2012年現在)
横浜市が、関東大震災の被害を受けた外国人などを対象に1925年から1929年までに建設した外国人向けの市営住宅で、山手町を中心に計29棟建設した。
横浜市認定歴史的建造物。
1943年当時124番にはドイツ人の3家族が住んだ。
クルウト・マウ 商会員 家族1
エリザベス・ベッカー (無職 家族3 蘭印引き揚げ者でしょう。)
リーゼル・リビンクエルト (無職 家族2 同じく引き揚げ者?)
クルウト・マウ 商会員 家族1
エリザベス・ベッカー (無職 家族3 蘭印引き揚げ者でしょう。)
リーゼル・リビンクエルト (無職 家族2 同じく引き揚げ者?)
また英国人デヴイト・ライト(無職 家族無し)もいた。
彼らは今も残るような、外国人向け市営住宅に住んだのであろうか?
124番館は非公開で、外からは見えにくい。奥の煙突が見えるあたりだ。
