ワシン坂通りの108番は107番の向かい。
青い門の洒落た邸宅。
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ここもお洒落。左の門柱は古い?
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109番はマンションと「港の見える丘公園管理事務所」(現在使われている気配がない)、そして個人宅が一軒。そこのコンクリートを渡す門は,山手でよく見るスタイル。
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109番には1943年、
フリッツ・シュナイダー 商会代表者(ドイツ人 家族2)
チニゼッペ・デルオロ 商会員 (イタリア人 家族無し)
が暮らしていた。
 
チニゼッペ・デルオロは山下町91番の「デローロ商会」(Dell'Oro & Co of Milanの社長)
であろう。今日は”デルオロ”ではなく広く”デローロ”と書かれる。
 
110番 神奈川近代文学館。開館は1984年と比較的新しい。
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かつての111番は、ほぼ現在有名な「山手111番館」となっている。
1926年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設された。 設計者はベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。横浜市指定有形文化財だが、これは横浜市認定歴史的建造物より格が上?
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この建物は1943年時点ではヨセフ・ヴイルツ(主治医)というドイツ人が住んでいる。
 
「ブラフアーカイブス ニュース」 (2019年10月)に次の情報が出た。 
ヴィルツ一家は1941年〜44年まで3年間、山手111 番館をドイツ大使館から無料リースして暮らしていた。 父ヨーゼフ・ヴィルツはドイツ大使館の医務官として、ドイツ人社会の医務に携わっていた。⺟はエディス、⻑⼥ローラ (1937 年⽣まれ)は横浜の小学校に通ったという。次⼥ アンティエ(1941 年 10 月 1 日、山手 111 番館にて誕 ⽣ )は現オーストラリア在住。 

 戦争によりラフィン家は追い出されたわけだが、3女エレブクーア・ラフィンひとりが近くの120番に住んで、財産を守ろうとした。しかし彼女も1943年以降に抑留されると、七沢の抑留先で自殺を遂げる。痛ましい話だ。
 
111番館内の説明パネル。
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111番館の横にある「横浜水道創設記念噴水塔 レプリカ」。
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