100番、101番は谷戸坂を上る右側になるが、今も昔も同じ場所。
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現在はマンションが続く。マンションは誇らしげに(?)Bluffの言葉を用いている。
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唯一マンションの壁に残された、「谷戸坂 大震災追悼碑」が往時をしのばせるが、これは日本人の手によるものだろう。
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谷戸坂の左側は1923年、地番は振られず、広く「Public Hall、パブリックホール(公民館)」となっている。この公民館は何を指すのであろう?
現在ゲーテ座ホールを運営する、学校法人岩崎学園のホームページにはパブリックホール「ゲーテ座」という書き方がされているが,ゲーテ座は元々山手町257番(現254番)にあった。(1888年から1920年)
 
1923年に「パブリックホール」のあったあたり。
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101番には1943年次のような人物が住んでいた。
シー・ゴウー 銀行支配人(フランス人 家族無し)
エム・ポワスデー タイピスト(フランス人 家族無し)
オット・ペルトラム 秘書(ドイツ人 家族無し)
フランス人が住んだのはフランス領事館が近かったからであろうか?
少し前1941年12月には同番地のジョージ・W. ゴーマン(新聞記者 日英混血)がスパイ容疑で検挙されている。
 
102番は1923年から存在せず。ただしその地図の202番と書かれた場所に、現在メゾン山手(住所102番)があるので、当時の地図の書き間違いの可能性が高い。
 
103番は101番から少し離れてワシン坂通り、近代文学館入口交差点あたり。有名な「山手111番館」の左斜めにある103-1の「マンション山手ハイム」のみ。

その近代文学館入口交差点を右に折れると、右手には現在は諏訪町が少し伸びてきて、その先が104番、105番であるのは昔と同じだ。ただし104番はだいぶ狭くなっている。
 
104番の煉瓦の家。
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こちらも104番。外国人が住んでいるようで、ハロゥインの飾りもなかなか賑やか。
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横道を入ったところの突き当りの家も104番。ゼンリン住宅地図では、ただ「アパート」と書かれている。
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1943年の104番の住民
コンランド・ビーバー 商会員  (ドイツ人 家族無し)
エム・クック  無職 (アメリカ人 家族無し)
 
106番は105番の向かい。
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106番のあるロータリーの中は外国人ばかりが住む。建物はすべて新しいが、下の壁のみが古さを感じさせる。
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107番で近代文学館入口交差点に戻る。
マンションのエントランスの屋根がどこか古い。
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07番の近代文学館入口交差点の家。時計がついており、事務所でしょう。
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