86、87番は現在存在しないようだ。その場所に建つ4つのマンションは全て84番代。88番は82番で書いたように雙葉中学校、高等学校。下に降り通称「ビヤザケ通り」にぶつかるまで88番は現在も続いている。
イメージ 5
右側の家までが88番。この坂は昔からあるようだ。
 
89番で有名なのが「えの木てい」
イメージ 1
 
同店のホームページには次のように書かれている。
「1927年日本人建築家朝香吉蔵氏が設計した英国式の洋館。
元はアメリカン人検事が暮らしていましたが、1970年に現オーナーのご両親が自宅用に買い取りました。1979年、1階のリビングをカフェとしてオープン。店名は庭にある大きな榎から名づけられた。」

同ホームページには戦前と思われる写真が掲載されているが、それによると同館は今と異なり、山手本通りに面して立っている。下の写真は店の名前の由来となったえのき。
イメージ 2
 
89番-8。1926年に建てられた木造1階建ての洋館。関東大震災後横浜市が外国人向け市営住宅として建てた洋館の一つ。外壁は三原山の火山灰を用いたモルタル掻き落とし仕上げ。横浜市認定歴史的建造物。
イメージ 3
 
交差点の89番。コンクリートの外壁はユニークだが古い?
イメージ 4
 
1943年、89番には次の2家族が住んでいる。
ルシー・パウリー  商会員(ドイツ人 家族無し 蘭印引き揚げ者?) 
テッドラエス・コクレン  無職 オランダ 家族2 (オランダ人は敵国人であったので、この後抑留されたはず)
 
89番の隣は234番と急に番号が飛ぶが、90番は元町交差点を下ったところ。1943年、 
テーアー・メンデル(商会員)、他4人のドイツ人(内1名家族あり)が暮らす。
5人の内、3名は洋服業だ。
他にマリー・フオール  教師 フランス人 
パウロ・ゴズロフスキー  嘱託 白系ロシア人(家族3)
アンナ・コズワドスカヤー 無職 白系ロシア人(家族2)
が暮らした。
 
山手90番館があり木造2階建て、1927年築の市営外国人住宅というがどの建物だろう?(住総研 研究論文集No.42, 2015年版)
上記の外国人の誰かが戦時中に暮らしたはずだが。
 
メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら