83番はサンモール・インターナショナル・スクールの地番だ。現在は移動し、1921年の地図上では88番地の場所だ。
1872年にサンモール修道会のフランス人修道女によって設立された,日本最初のカトリック教育機関であった。横浜雙葉学園もサンモール修道会によって設立されており、そうした関係から今も隣り合わせであるのであろう。
カフェテリア入口の門柱はなかなか古そうだ。
正門

1943年、ジュウビエウ・フラオ他、計5人のフランス修道女が暮らしていたのは創立者がフランス人であったことと関連しよう。
他にアデライデ・モロッテイ他計8人のイタリア人が雑役等として暮らしている。8人もいて何をしていたのであろうか? さらにアイルランド人メリー・ムーレーは教師として暮らした。アイルランドは英国と異なり、日本とは交戦関係になかった。
1921年当時、84番、85番と連なるところは1943年にはすでに85番のセントジョゼフ・インターナショナルスクールで統一されていたようだ。1901年カトリック・マリア会による設立の男子校だ。
1953年当時の写真。寄宿舎であったベーリックホールにて見せていただいた。

1943年当時,主にフランス系の教育関係者が住んでいた。マリア会もフランス系なのであろうか?
エル・カラット 教師 スイス 家族1
エドワード・クリト 学生 ポルトガル
マルス・リスター 学生 デンマーク
ラシイド・パテルシン 学生 トルコ
イデー・アセル 教師 ルクセンブルク
ボリス・パノラフ 無職 白系ロシア
アルベルト・セグリ 教師 フランス 家族無し 他教師10名
セグリ(ヘグリ)はアメリカ人教師が皆強制退去させられた後は校長を務める。
マルス・リスター 学生 デンマーク
ラシイド・パテルシン 学生 トルコ
イデー・アセル 教師 ルクセンブルク
ボリス・パノラフ 無職 白系ロシア
なおセントジョゼフを1943年11月に卒業した、白系ロシア人のコンスタンチン・ラブロフは1945年5月29日の横浜大空襲の犠牲となり亡くなった。
ラブロフ一家は1943年当時、山手町184番に家族5人で暮らしていたが、立ち退き命令で、同じ中区の鷲山に移っている。軽井沢、箱根などに疎開していれば、運命は変わっていたであろう。
ラブロフ一家は1943年当時、山手町184番に家族5人で暮らしていたが、立ち退き命令で、同じ中区の鷲山に移っている。軽井沢、箱根などに疎開していれば、運命は変わっていたであろう。
セントジョゼフは2000年に閉校となり、マンションが建っている。(84番地ー3)
狭い元町公園にメモリアルパネルがあるが、あまり手入れはされていない感じ。

なお85番はセントジョゼフの建つ前にはメイプルズホテルがあり、イギリス人医師マンロー博士も同地番に暮らしている。(『開港のひろば』より)
私はマンロー博士に関しては何箇所かで書いている。例えばこちら
私はマンロー博士に関しては何箇所かで書いている。例えばこちら
