1921年の地図では代官坂上交差点の66番の先は67番、68番で雙葉小学校入り口交差点まで来る。
今は66番の隣は68番「フェリス女学院6号館第2別館」だ。山手本通りに珍しい和風の建物だが、新しいのか紹介されることは無い様。
今は66番の隣は68番「フェリス女学院6号館第2別館」だ。山手本通りに珍しい和風の建物だが、新しいのか紹介されることは無い様。

右側に家政科記念館の看板あり。

次の67番は現在67番-3のみだ。
1943年67番には非ドイツ系の以下の家族がいた。
67番 フランス人 アンドレ・ポアクリ (無職 家族4)
67番A ポルトガル人 シーエフ・フランコ (書記官 家族2 )
67番 フランス人 アンドレ・ポアクリ (無職 家族4)
67番A ポルトガル人 シーエフ・フランコ (書記官 家族2 )

次いで68番フェリス女学院。山手キャンパス6号館、さらに6号館第1別館と続く。(写真は2枚目)この建物は昭和初期建築木造2階建てで、横浜市認定歴史的建造物。先の第2別館もこちらに合わせる形で68番となったのであろう。


68番にはさらに2軒の横浜市認定歴史的建造物がある。(あった)
1932年築木造2階建て68-D番館(BEATTY邸 ビーティ邸)。こちらはゼンリン住宅地図では69番である。また1921年の地図でも道路との位置関係からして69番の様な気がするが、、、
1932年築木造2階建て68-D番館(BEATTY邸 ビーティ邸)。こちらはゼンリン住宅地図では69番である。また1921年の地図でも道路との位置関係からして69番の様な気がするが、、、

門柱には確かに六十八と読めるがその後は”番ー”?

旧山手68-A番館は現在山手公園管理事務所として保存利用されている。
旧C・F フランコ邸と書かれているが、先に紹介した僕の持つ1943年の資料ではこのポルトガル人の住所は67Aとなっている。誤記か?


1941年10月、68番に住んだポーランドのフレデリック・タパチンスキー副領事と家族3名が母国に引き揚げている。そしてその後68番に住んだドイツ人は多い。ポーランドは母国をドイツに占領され、山手でも同様な事態となった。
1943年住人。
フリダー・ワイザー (無職 家族無し)
オットー・ルール (商会員)
ハーリー・レムケ (事務員 家族3)
レオポルデ・アントシュ (無職 家族2)
ベルネルト・グラントマイヤ (無職 家族無し)
マリヤ・アントシュ (無職 家族3)
ワルター・ホーカス (大使館ラジオ係 家族2)
スワイゼル・マガレット (無償 家族3)
さらに満州国の国籍を持つ人物もいた。西洋の名前なので、ユダヤ人でドイツの国籍を失い、満州国のを得たか?
68番 リディア・ベール (無職 家族無し)
雙葉小学校入り口交差点の(元)白亜の殿堂も68番、語らないわけにはいかない。売りに出ているのか?

最後に旧64番も、今は聖母愛児園で68番であることは書いたとおりだ。
というわけで68番は奥が深い。
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