62番の道の反対が63番で、代官坂のトンネルの右肩あたりに現在6軒ほど建物がある。
1943年にはドイツ人カザリナ・ドライリング(無職)が暮らす。女性名なので彼女もジャワ方面からの引き揚げか?
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63番の高級レストラン「エリア耀」は人影が少ないが完全予約制。
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63番の邸宅。
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64番は今無し。その場所は聖母愛児園で68番。
その下の地図の空白の土地の下、65番は今は上野町4丁目と思われる。昔の居留地の面影はない。
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山手通りの昔61番bが現在66番-2で横浜ユニオン教会インタナショナルプリスクール。
1910年山手町で礼拝堂を建設するが、1923年に関東大震災で倒壊する。現在と同じ場所の、山手町66に再建する。
太平洋戦争中は米軍の空襲により完全に破壊される。2003年に新会堂が完成。(教会ホームページより)
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教会の敷地に捜真学院発祥の地の碑がある。当時は67番であった。
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他66番には4軒住居がある。
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66番に1943年に住んでいたのは以下の通り。
66番Aにスイス人ハンス・ベンチメガー (技師 家族3)
66番にドイツ人 エイダブリュ(A.W)・エルクレンツ(無職 家族4) 
1941年春、ニューヨーク支店からベルリンのコメルツバンク本店に日本経由で戻る途中に、独ソ開戦で帰国が不可能となり、そのまま日本に残る。
同じく66番に白系ロシア人 ナヂヤ・ソポル (家政婦 家族4)
 
その前の1941年10月国がドイツによって占領されたポーランド人家族が引き揚げている。
66甲 カロル・スタニシシエウスキー (2等書記官 家族計名)
 
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