42番は1921年の地図では狭く42A,42Bと分かれているが、1943年では42番で統一され「ドイツ学校」となっている。
学校長とふたりの教師がここに住所を登録している。先に書いたようにその前は40番にドイツ学園があったので、関連があろう。
イルザ・ブルノッテ (学校長)
アウグステ・ケラー (教師)
ショウフェルト・オットゲッペ (教師)
学校長とふたりの教師がここに住所を登録している。先に書いたようにその前は40番にドイツ学園があったので、関連があろう。
イルザ・ブルノッテ (学校長)
アウグステ・ケラー (教師)
ショウフェルト・オットゲッペ (教師)
40,41番のドイツ海軍病院の後に建ったドイツ学園であるが、関東大震災で一時閉鎖された後、1923年11月に東京の大森に移転する。それ以降ドイツ学園と言えばこちらを指す。しかし戦時中、学童を大森まで通わせるのは危険と考え、山手を中心とする住民のために再開されたのであろう。
現在42番は路地を入る42番4「日本聖公会 祈りの家」だけだ。昔より狭まったのであろう。古い建物だが、戦後の間もなく建築であろうか?

終戦直後のドイツ人学校の建物。詳しくはこちら。(2021年8月追加)
汐及坂交差点に向かう43番は43番2のみで現在フェリス8号館。モダンな鉄筋の音楽学部の建物。音楽学部は緑園ではなく、山手キャンパスにある。

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