「A.ダレスの特徴
すでに説明した大統領の信頼の高さに加え、北イタリアでのドイツ軍の降伏交渉の調整を果した。
B.今回の提案の本質
これが策略でないことは、ダレスの身元と、先に述べたワシントンへの至急便の内容から明らかである。ダレスの至急便は、第三者の意見もその場で取り入れられて、修正された。
海軍がこの任に就く理由は、アメリカの見解では帝国海軍の他に、適当な交渉相手がいないからである。
例をあげると、北イタリアとアメリカの交渉は一月から百回にも及んだが、少しももれずに、満足の行く結果に結びついた。
日本側では西原と藤村しか、この件を関知していない。国家の存亡のかかる重大事に関するアメリカ側の見解は、すべて特別のある第三者によってのみ、仲介されている」
これは文春で藤村は全く触れないものの、西原の回想録には載っている内容だ。またルガノの百回に及ぶ交渉の話とか、ソ連とスイスは国交がないので交渉に最適であるという話も同様である。
最初のハックとの会合には、西原も同席したと藤村も証言している。おそらくそれは事実で、それゆえ当事者しか知り得ない内容を、西原は回想に書く事が出来たのであろう。
他方ヤルタ会談の秘密協定の情報は、間違いなく大スクープであった。大手柄である。藤村が手記で触れない理由は、よく分からない。敗戦直後、アメリカ側に好ましくない、ダレス機関からの情報漏れの話は、意識的に避けたのであろうか?
<日本海軍の疑念>
「その翌日の五月二十一日か二日に東京海軍省軍務局長から武官宛に親展で返事が来た。ところがそれによると”貴武官のダレス氏との交渉要旨はよく分かったが、どうも日本の陸海軍を離間しようとする敵側の謀略のように思える節があるから、充分に注意されたい”というのである」
そして和平交渉が再び登場するのは、七月六日付けの一四一号電である。これも長文であるが藤村の当時の真意を良く表しているので,主な部分を引用する。
「一四一号 副大臣 次長宛て
貴電三七号 米国の提案を謀略とする可能性について
貴電にあるこの提案には謀略の恐れがあるという不信感はある意味もっともな事である。我々も非常に用心している。すでに東京でもご存知のように、周囲を敵に囲まれたこの中立国では、常にこの種の仲介者がいて敵との仲介を申し出ている。もしくは実際に行われている。(略)
相手は五月二十日頃、つまり我々に提案をする前に,当地の事情を本国に送った。(スイス一二一,二号電参照)
そして和平問題についてスイスの日本海軍代表と接触することを具申した。我々は間接的に五月二十五日頃その接触を受けたが,相手は六月十日頃ワシントンから“原則同意”の承諾を得た。(彼の細かい指示を仰ぐ要求に対して、明快な回答があったようだ)
それから相手は二度にわたって我々に
“東京から返事はきたか?こちらは準備が出来た”と聞いてきたが、東京の指令に従い返事はしていない。
続いて、ダレスは六月十五日から二十五日まで大統領の求めでワシントンに戻り、調整をおそらく行った。彼は二十六日に戻り、我々に会ったとき相手は熱心に語った。かれは率直にロシアの増大する危険性を語り,早期の終戦を望んだ。
謀略の形跡は全く無い。沖縄戦の記憶が新しい敵は対日長期戦の準備に入った。他方,激しい継続的空襲がドイツの場合同様決定的要素となるであろう。沖縄の占領後、敵は自信を深めた。他方アメリカは極東でのロシアとの関係を改善し対日戦を終結したい。アメリカは依然ロシアに懐疑的だが,日本本土上陸の犠牲を考慮してこの結論に達した。
ダレスとその部下は北イタリアでの降伏交渉で自信を深め、対日戦早期終結に貢献したいと考えている。これは我々が利用するべきである。さらに貴電にある公使館等との連携であるが、勿論過去から行われている。
相手は目下の戦況を目に据え、我々の頑迷な沈黙に驚いている様子である。勿論敵の謀略であると言う兆候は無い。この点に関しては彼らと接している我々がそれを感じない。しかしもし謀略の気配があったら、当地の公使館に連絡する。これが我々の意見で、現状の分析は東京とは異なる。貴方の再考をお願いする。もし東京がこれが敵の謀略であると言う情報があるなら,折り返し連絡されたし」
感情的な電報である。内容にあるように、押しの強さはハックのにらんだ通りだった。また解読された電報の欄外には
「G1コメント DULLESは全体を通してDULLASとなっている」と珍しく書きこみがある。スペルの間違いを指摘しているが、幾本もの藤村電に接したアメリカの上層部の感想が聞けないのは残念だ。
また本国からの六月二十日の訓電は現存しないが「現地の公使館、陸軍武官とも相談するように」と指示があったようだ。しかし藤村はこれに従わない。
将来に対する機微を考え、われわれはまず直接海軍に訴えるのです」と同電の中で語っている。
藤村があげる公使館と話し合わない理由が真実なのか?それともこれまで見てきたように加瀬公使とは意見が合わなかったからか?もしくは本人の功名心からかは想像するしかない。
<藤村のねばり>
十六日には
ハックによれば、ダレスは六月にトルーマン大統領の要請でワシントンに帰ったときに、(かれとこの件に関して)話し合ったはずである。
初めてハック以外で、ダレス機関に所属する人物の名前が初めて登場するが、それはまさに終戦間際のことであった。ではこれまでハックは誰と話をしてきたのかと新たな疑問が湧き起こる。また同氏の登場は、文春では四月末となっており、大きくずれている。
七月十七日、また電報が送られる。藤村が、猛烈に東京に電報を送り続けたというのはこの頃、つまり七月中旬のことであろう。藤村は確かに何度か、長文の具申電を書き送っている。この熱意、真摯な態度は賞賛されてしかるべきものである。そしてそこでは
「ハックを介していて直接相手と交渉していないので、会話の雰囲気はわからないが」と断わった上で、
B.事態がこのまま進めば、日本は今のドイツのように徹底的に破壊され、食糧難から人口は半分になろう。
勿論これは謀略ではない。アメリカ側が政府に送った、非公式の接触の要求からもそれは明らかである。
二 結論として現下の連絡路を断ち切らない事は,戦況がどう変わろうとも日本にとって絶対に必要である。貴官の意見を窺いたい。ひとつの考えは日本にいるアメリカ人捕虜の情報を提供する事で、敵はその見返りにフィリピンで捕らえられた、日本軍指導者の情報を出すであろう。こうして日本の政策軍事作戦などに影響を与えない限りにおいて、秘密の連絡を保つのである
日本のデリケートな事情も分かる。しかし私はこの件に関して何かをやりたい。それは飽くまでも東京の指示があっての話です。どうかただちに返事を下さい」と書いた。
ダレスの話が謀略でないことを、終始藤村は訴えるが、その根拠は以前と同じである。そして今回,和平交渉と言うよりはダレスとの連絡路の開設に自分の要求を微妙に変えている事が分かる。
最後は自分がこの件で何か役立ちたいと、東京の許可を哀願する調子を帯びている。これが藤村の本音かもしれない。
十八日から十九日にかけては三本の電報で,ポツダム会議の見通しを報告するが、ダレスの名前は出てこない。