観光地として名高い赤煉瓦倉庫2号館の少し奥に、臨港列車(東京駅〜埠頭間)の線路と、かつての「横浜港駅」プラットホームの一部が残っている。

 

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大正時代に作られたと言われても、正直あまりピンとこないプラットホーム。(筆者撮影)

説明パネルによると、この駅は1911年、横浜税関構内の荷扱い所として作られ、1920年7月23日、東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れた。初の列車は日本郵船「香取丸」出港に向けてで2等115人、3等116人を乗せ東京駅から乗り入れた。1等船客はみな車を利用か?

香取丸はこの時北米航路、シアトル行きであった。横浜港駅と直に繋がる4号岸壁は、北米航路客船が接岸する主要ターミナルであった。
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説明パネル上の写真。

1928年時点で東京発は午後1時5分、横浜港駅1時56分で、帰りは3時25分発であった。外国船出帆日に限る臨時列車であった。
 
パネルには以下のような記述もある。
「昭和5年(1930年)高松宮御夫妻『鹿島丸』にてヨーロッパに出港。」
この時の様子について『高松宮同妃両殿下御外遊日誌』には次のような内容が書かれている。
特別列車に乗車、東京駅を午後1時10分出発。
2時横浜港桟橋で下車。埠頭頭上2階より郵船鹿島丸に乗船。
(乗船後は)Aデッキの社交室に見送りの人と共に集まる。
3時出航 港内の船舶一斉に汽笛を鳴らす。

筆者は鎌倉丸の項目で
「本社論説委員笠信太郎、ベルリン通信局員茂木政両氏は1940年11月20日午後0時30分東京駅発、同3時横浜出帆の(日本)郵船”鎌倉丸”でアメリカ経由、ドイツへの赴任の途についた。」
と書いている。この時臨港列車は0時半の出発だった。船の出帆時間に応じ、列車の時間は適宜変更されたのであろう。
 
また先の「香取丸」の項目で横浜港出航の写真を紹介したが、これは上の写真のホームの右側であろう。
 
<東京湾要塞地帯>
 
ヨーロッパから杉原千畝の発行した通過査証で日本に来たユダヤ人は、多くがアメリカ方面に向かう。1941年7月、龍田丸に乗船したユダヤ人の「乗船券」の右側には赤いスタンプで次のように書かれている。
「横浜港は東京湾要塞地帯区域に付き、写真撮影は禁止されておりますから、見送り人は写真機等は御携帯なき様、予めご注意ください。」
見送り客はひっそりと見送り、かつてのように記念写真を撮る光景はもうなかった。
(2020年2月1日 追加)
 
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