手放すときは
いつだって、ありがとうって
やさしく、そっと手放したい。
いろんな感情が生まれた、
特別なそれらすべてまるごと、
ありがとう、さようならって
誠意をもって手放したい。
モノとの関係性も、ヒトとの関係性も、
その間にしか生まれなかった
たったひとつの物語があるはず。
うれしいなぁと思ったことも、
悲しいなぁと思ったことも、
好きだなぁと思ったことも、
それらまるごと愛と呼ぶんじゃないだろうか。
さようならは
いつだって、自然なこと。
同じところに留まっていられない、
なんらかの変化をくり返すもの。
それが生命というもの。
それは人間でも自然でも当然なことでしょう。
変わらないものなど、この世には存在しない。

あの人は変わらないでいてくれるとか、
そういったことをあたたかい、すばらしいと
過去のわたしは思っていたし、
ころころ考えの変わる人のことを
ひどいと感じたことだってある。
だけど、今はころころ変わることを
ふつうだと思っている。自分も人も。
それはきっと、いつからか
自然なわたしを取り戻したからだ。
そして、自然とはその名のとおり、
本来のままであるから、らくちんなのだ。
それはとってもやさしくて
豊かな世界だって感じてる。
過去にわたしの手を放してきてくれた方にも
今はとってもありがとうと思っている。
手を放す、自分に正直に生きるって、
ときにすっごく苦しいんだよ。
だけどそれが本当の意味で
愛だって分かっているから。
だからこそ、ものすごく感謝しているんだよ。
手放すって、大きなエネルギーだよね。
さまざまな感情が生まれるほどに
真剣におもうほどに、
それだけの思い出や関係を築いてきたんだから
たいせつなものだったに決まってる。
手放すって、
なくならないよ。
つづいていくんだよ。ほんとはね。
海みたいでいいんだよ。
人間だって。
緩やかに揺られる波の日があっても、
激しく荒れくるう大波の日があっても、
まったく穏やかで静かな日があっても。
自然でいいんだよ。
別れだって。出会いだって。
なんだって。
さようならは、おわりではなくて、
むしろ始まりだって思う。
なにかが始まるとき
なにかは終わりを迎えていて、
そうやって今日も生きてる。
