3回にわたってざっくりと書かせていただきました。
無論日本正史ではなく口伝や漢書、魏書の記録から
想定したものです。
この当時日本では正式な書を残す事ができません。
豊玉姫に関わる年号は親魏倭王(卑弥呼)である
豊玉姫が魏国の使者に伝え魏国の記録です。
豊玉姫が卑弥呼??
とお思いの方多いかもしれません。
第二卑弥呼と教わっております。
第一卑弥呼はヤマトの国
三輪山の太陽信仰をしたモモソ姫
これは2世紀の話で豊玉姫の数十年前。
太陽の媛巫女 モモソ姫
月の媛巫女 豊玉姫
ヒミコって、ヒメミコ?
冗談のような魏国側の
聞き間違いでヒミコと
記されたという説があるのです。
では、邪馬台国は?
魏国側から想定するに
2世紀モモソ姫ではなく
豊、大分の豊玉姫と
物部が居た福岡県から佐賀県の
筑後平野も邪馬台国と見て良いように思います。
吉野ケ里遺跡も含まれますから
日本の考古学者も納得!?😅
乙姫様に戻ります。
③で宮崎県の神社をご紹介しました
記紀に沿った神社が建てられる当時
都万・豊王国は知られていたのか?
記紀神話によって御祭神が決められていますが
鵜戸神宮などは崇神天皇(イニエ王)時代から
祭祀場として創建されていた記述があります。
それなら記紀で差し替えられて
(古事記712年 鵜戸神宮再建782年)
都万王国の地に乙姫様が祀られるに
不思議はありません。
さらに近年判明した証言は
東出雲富家口伝伝承のみならず
第二次物部東征は実際にあったと
宮崎県に伝承が残っていました。
記紀に忠実でなければならない
公式な一部神社さんからも
その証言をいただいております。
その中からご紹介します。
現在の日向市美々津を中心に
宮崎県中部・北部より東征のため出舟
しかし嵐で舟が難破、かなりの数が漂着
その者たちは日向市~延岡市の
海岸から一部の者は耳川
五ヶ瀬川沿いに北上し
日之影町、高千穂町まで達し
高千穂町にも子孫が現在も住んでいる
驚くべき証言です。
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浦島太郎の物語は
宮崎にもありました。
川南町 白髭神社
太郎が上陸したのは
川を挟んだ高鍋町
引用
浦島太郎は、
龍宮から高鍋町蚊口の浮き島なる鵜戸を経て帰着
③でご紹介の高鍋町 蚊口浦 鵜戸神社です
ぐるっと大回りして、
伊根から高鍋に帰ってまいりました☺️
長いシリーズお読みいただきありがとうございました。



