高橋直弓 の ♡かんたんマクロ美Style♡ -5ページ目

高橋直弓 の ♡かんたんマクロ美Style♡

マクロビスタイリスト高橋 直弓 の自由で軽やかなマクロビオティック♪
食べ物のこと、カラダのこと、心のことをつづる私ブログ。

昨日の記事で、お金=罪悪感の象徴と書いた私ですが。



他にもたくさんあります、罪悪感。
私の90%は罪悪感で出来ているのではないか?と思うくらい。



心屋塾で学んで知ってるんですよ、罪悪感が何の役にも立たないこと。というか、「百害あって一利なし」だという事を。



でも、それを知ってすぐになくせるかというとそうでもなく。。。



いろいろある罪悪感のうちの一番大きなものが体調を崩すこと。



体調を崩して仕事を休むことへの物凄い罪悪感。



周りに迷惑をかけてしまう。
仮病と思われるんじゃないか?
ダメな人と思われるんじゃないか?



記憶を辿ってみるとこれの元はやはり子供の頃。



私は学校に行くのが嫌で嫌でいわゆる登校拒否になりかけの子供でした。



行こうと思うと具合が悪くなる。
気持ちが悪くなる。
熱が出る。




それを見た兄は
「コイツ、また仮病使ってる」
父は「なんだ、また風邪で寝込んでるのか、だらしない!」



私の中で「具合が悪くなる=仮病と思われる」



という方程式が出来上がっていました。
なので、大人になった今もそれは変わらず。



今回も風邪でお教室をキャンセルしてしまったのですが、すごい罪悪感。



休むことへの罪悪感が半端無いのです。
お世話になっている京葉ガスさんや申し込んでくれた生徒さんへの申し訳なさ。




でもその一方で、具合が悪いとゆっくり休めるというメリットもあり。。。



何も無いのにのんびりしたり休むのはこれまた罪悪感がムクムクと。。。
風邪なら休むのも仕方ない、と自分を納得させられる。



休むことにどれだけ罪悪感があるのだろう。
休むことがどうしてこんなにざわざわするのだろう。



父はとても真面目で少しくらい体調が悪くても仕事を休まなかった人。
だから、体調不良で寝込む私を見てるとイライラしたのかもしれない。



そしてそんな父を見て育った私は、「休む=いけないこと」と決めてしまったのかもしれない。
(年老いた父は今はもう何も言わない)


そしてもうひとつ。
それは楽しむことへの罪悪感。



子供の頃、はしゃぐと母に叱られる。



大人になっても楽しそうにしていると
「なおみばっかり楽しんで」と言われる。



私の旅行カバンが旅先のホテルから届くと
「1人で楽しんで。そんな余裕があるなら家を出ていけ!!私はこんなに我慢してるのに」と言われる。



母は私が楽しいのが余程気に入らないらしい。それは母が楽しんでいないからなのだが。


そしてそれは私の責任ではないけど、つい申し訳なさが出てしまう。



つい母の顔色を見てしまう自分がいる。



お金が入ってきたら
私が楽しくしたら
お母さんがまた何か言ってくる。
それにビクビクしているのだ。



だから、私はお金が入ってこないように
楽しくしないようにしているのかもしれない。



お母さんが怖い
お母さんに嫌われたくない



子供の頃からずっと抱えてきた気持ち。
だってお母さんに嫌われたら子供の私は生きていけないから。



でも、私はもう大人だ。
それもかなりいい歳の。。。



いったいどれだけ子供の頃の思い込みをそのまま持って生きているのだろう。



いつになったら自由になれるのだろう。



もういい加減手放していいのに。
それがとてつもなく難しい事のように感じている。



これもひとつひとつ手放すしかないのだろう。



私の人生だって残り少ないのだ。



母の顔色を見ている間にも時はどんどん過ぎていく。母のせいにしてウジウジしている間にも私はますます歳をとる。



母に嫌われる覚悟をした時に、自由と幸せが手に入るのかもしれない。



罪悪感を感じたらこちら
笑わせてくれます(笑)


私の中の大きなテーマがお金。
ずっとずっと長い間悩まされているお金。



そのお金の大元は罪悪感



子供の頃、欲しかったフルートを買ってもらえなくてお小遣い貯めて買ったり。



一緒にお買い物に行った友達と同じセーターを買って帰ってお母さんに烈火の如く怒られたり。



新発売のチキンナゲットをハンバーガーと一緒に食べたかったのにナゲットしか買ってもらえなかったり。



行きたかった音楽学校もお金がなくて諦めたり。



大人になってからは
お付き合いしていた彼は超ドケチ。
お金持ちの人の悪口ばかり言う人だった。




競馬が趣味でいつも負けているのに、たまに勝つとそのお金をすられてしまったり。
とことんお金に縁のない人だった。




常にお金がなくて旅行に行っても安い民宿、ひどい時にはパーキングに車を止めて車内泊。
(今から思えば彼は私の中の「お金がない」を見事に見せてくれていた)






…出てくる出てくる。
お金に関する悲しい思い出。



幼い頃から今までお金が潤沢にあった記憶が一度もなかった。



そうか



あの頃からずっとずっと私は悲しい涙を流し続けて来たんだな。




お金を使うとお母さんに嫌われる。
お金を使うとお母さんに怒られる。
お金を使うとお母さんを困らせる。
お金を使うと家のお金がなくなってしまう。





私の中のお金は罪悪感の象徴だった。



お金が大好きといいながら、「お金=悲しみ」という方程式が私の中に出来上がっていた。



もうこの悲しい涙を終わらせよう。
もう十分流したじゃないか。
もう、いいよ。



私はもっと幸せになっていい。



そのためにはとにかく自分を満たすこと。
ひたすらひたすら内側を満たす。




が。



それがまた難しい。
すぐに忘れる。
気がつくと罪悪感がある。



こんなことしてていいのかな。
このままだと困ったことになるのでは。。




といつもの癖が頭をもたげる。




仕方ないね、ずっと罪悪感と隣り合わせだったのだから。
今すぐに罪悪感とさよなら出来なくてもいい。
少しずつ少しずつ、リハビリするのだ。



罪悪感がまた頭をもたげてきたら
「あーまたやっちゃった(ゝω・)テヘペロ」でいい。



今日もひたすらリハビリしよう。
コツコツと。
ずっと悲しい涙を流してきたけど、それはもうやめていいのだ。



私は今まで貧乏症だったけど、貧乏ではない。



「お金がない」
が母の口グセ。



それをずっと握りしめていなくていい。
お母さんにお金がなくても私はお金持ちになっていい。



私は母とは別の人間なのだから。


京都へ向かう新幹線の中で書いてます。
今春休みなのか?
大学生らしき人で満席。
{3A84D4F9-B13C-4274-9198-039C468D39A4}



今朝早くに目覚めてお布団の中でふと思い出したことがありました。



私はいつも最後だったなぁ〜と。



私には3つ上の兄がいて、彼の口癖は「ボク先」



おやつを分けるのももらうのもいつも「ボク先」、妹の私はいつもその後。
いつしかそれが当たり前になり、
「はい、お兄ちゃんが先ね」と言うようになったらしい(自分では覚えていない)



従姉妹が遊びに来た時。
父が私と年下の従姉妹2人に買って来た可愛い髪留めのお土産。



先に従姉妹に選ばせ、年上の私はその後。
従姉妹はお客さんでもあるから当然なんだけど。



その時、ものすごく怒って泣き喚いたのを覚えている。



その可愛い髪留めは2つは小さく、1つはちょっと大きくてそれが一番可愛い。
で、最後にそれが私の所に来たけどちっとも嬉しくなかった。



私に先に選ばせてくれなかった。




それが悔しくて悲しくて。
最初に
「どれが欲しい?」と聞いて欲しかった。




私としては滅多にしないことだけど、泣き喚いた。



いつも我慢していたことがこの時に一気に吹き出したのかもしれない。



親はなぜ私が泣いてるのかもわからず。
その時親に怒られたのかどうかは全く覚えていないんだけど。
ささやかなる私の抵抗だった。



私のお誕生日会の時。
バースデーケーキをお友達みんなに分けて、最後に私の所に来たのは砂糖のお菓子も何にものってないのっぺらぼうのケーキ。



昔のケーキは今の生クリームたっぷりでいちごがのった華やかなものではなくて、バタークリームにジャムの模様が絞ってあって砂糖で出来たお人形がいくつかのったシンプルなもの。


こんな感じ
{C2ADB85B-7C02-4FB5-8383-31206CD40E17}



お人形がのってない所はクリームがナッペしてあるだけでのっぺらぼうの、何とも残念なケーキなのだった。



お祝いに来てくれた友達に先に配るのは当然、私もそこはちゃんと理解していた。ここでワガママを言ってはいけないことを。
でも、私の所に来た何ものってないケーキを見た時、悲しみが溢れた。



私のお誕生日なのに。。。



もちろん私は泣き叫ぶこともなく、何も感じてないフリをしてそのままお誕生日会を続けた気がする。




今までずっと忘れていたけど、小さな頃からこうしてずっとずっと我慢をして生きて来た。言いたいことが言えずに。
いつも言葉を呑み込んで呑み込んで。




だから、親に甘えて駄々をこねている子供を見ると無性に腹がたつのだった。



私が出来なかったことをしている子供が大嫌い。許せない。
私が子供嫌いなのはここから来ていることがよくわかった。




こうしてそのまま大人になり、今でもいつも自分は後回しな気がしている。これは思い込みもあるだろうけど。



友達同士でいても、あの人は大切にされるのに私は蔑ろ。ほら、またあの人ばかり。



それを見張っている自分がいる。



「あぁ、ほらまた私は後回し」
そんな証拠集めをしてしまう。



宇宙は優しいから
「それがあなたのお望みですね」と蔑ろにされる(ように感じる)出来事を見せてくれる。



後回しにしているのは自分自身。
蔑ろにしているのも、大切にしていないのも私が私に対してやっていること。



子供の頃いつも後回しにされて来たけど、もうそれを選ばなくていい。
見張らなくていい。



他人にそれを求めないで自分が自分を最優先にすればいいのだ。



今まで蔑ろにし過ぎた。
自分自身を。



厳しくし過ぎた。
自分にも他人にも。



だから、私の周りには厳しい人が現れる。
教えてくれているのだ。



あなた、厳しいよ。
もっと優しくなっていいよ。
もっと優しい世界があるよ、と。



私の周りには厳しい世界と優しい世界が混在しているけど、今までずっと厳しい世界が圧倒的優勢だったのだ、残念ながら。



これからは優しい世界で優しい愛の体験を選ぼう。
厳しい世界はもう十分満喫したから。
もう優しい世界へ移行しよう。



まずは自分。
外の世界に求めずに自分に求め、自分を最優先にし、自分で愛していこう。ウザいくらいに。




いかりんマスターでお祝いしてもらったお誕生日
{DA2E4619-3EC1-4975-95CF-724E4B662DC0}
私だけのために用意されたケーキが嬉しかった



生まれてはじめて心から嬉しいと感じた誕生日だったな。