マクロビスタイリストの高橋直弓です
今日は雨なので、家でのんびりしています
家にいる時は何かしら試作をするのですが、今日も既に3品ほど作りました
試作という名の遊びなんですけどね(笑)
フジッリのグラタン
私はこんな時間がとっても好き
外で遊ぶのもキッチンで遊ぶのも大切な時間です
よく、ゆるベジとかゆるマクロビとか表現しますよね
ベジやマクロビを「しっかりちゃんと」実践することに対して、それよりゆる~く、ちょっといい加減なイメージで使うのかな?と思ってるんですが。。
私、実はあんまりこの「ゆる◯◯」という表現が好きじゃないんですよね
「ゆるゆる」やろう、という事は前提が「きっちり、ちゃんと」やらなくちゃいけない、でも出来ないからせめて「ゆるく」やろうよ、みたいな感じなのだと思うんですが…
きっちり出来てる人に責められないように、前もって自ら「ゆるゆるで~す」と宣言しておく、みたいな
でも、そもそも「きっちり」とか「ちゃんと」というのが違うんだよなぁ、と
一般的なマクロビオティックはどうか知りませんが、私のマクロビオティックのイメージはそもそもが「自由」
「適当」で「いい加減」が「良い加減」なんですよね
もちろん、基本あってこその「自由」があるのは承知の上で
でも、基本に則ってばかりではいつまで経ってもそこからは抜け出せない
何よりも楽しさがあってこそ
だからこそ、何十年も続けていられるわけです
ただ、こう書くと努力や頑張るのがいけないのか!?と思われる方もいらっしゃるかと思うんですが、そうではありません
努力も頑張りも必要な時はあります
ただ、その方向はどうなのか?ということ
人生に無駄は無いと言うけれど、私はあると思うんですよね
要らない苦労はしない方がいいに決まってる
最短距離で幸せになる方が絶対にいい
その為のマクロビオティックであり、ベジタリアニズムなわけで、もしそうでないならさっさとやめちゃったほうがいい
マクロビオティックは生き方そのものなので、本来はやめるやめないという話ではないのですけども
(いわゆる、玄米食べて野菜食べて動物性や添加物、砂糖は一切摂らないという食の形としてのマクロビオティックやベジという意味限定で)
自分や周りを不幸にするものならやっている意味ないですからね
でも、違いますよね?
本当はみんな、幸せになりたいに決まってる(不幸な方が幸せな人は別ですが)
それには力を抜いて行きたい方向に向かおうよ~ということなのです
何事も「きっちり」やろうとなると、身体に力が入りませんか?
「ちゃんと」しなきゃいけないと思うと緊張しませんか?
人が最も自分の力を発揮出来るのは「緩んで」いる時
リラックスしていないと本当の力なんて発揮出来るわけがないんですよね
私は元々が頑張り屋で努力家で超真面目な性格なので、放っておけばすぐに「ちゃんとしなきゃ」「頑張らなきゃ」の罠にはまるわけです
それで一度死にかけてますし(笑)
詳細はこちらをどうぞ
今となってはその死にかけた経験があるからこそ伝えられる事もあるので無駄ではなかったのですが、出来ればあんな辛い思いをせずにもっと簡単に幸せになりたいもの
そもそもマクロビオティックやベジをなぜ実践するのか?
が大事なんですよね
何のためのマクロビオティックなのか?
何のためのベジタリアンなのか?
…くどいですけど幸せになるためですよね?
マクロビオティックをきっちりやる事が目的じゃないですよね?
何が何でもベジに拘るのが目的じゃないですよね?
もしそうだとしたら、それは単なる執着にすぎません
たまに見かける、ベジじゃない人を糾弾するようなベジタリアンの方たち
ベジタリアンじゃなければ残酷で野蛮だ、みたいな
その攻撃する事こそが闘いのエネルギー満載なんですけどね
そのエネルギーが戦争を引き起こすんですけどね
そこを間違えると幸せになるどころかどんどん不幸に向かっちゃう
せっかく素晴らしいベジやマクロビオティックが全く違う物になってしまう
それはとても残念なこと
だから、やってて楽しくなかったら
辛くなってたら
そして人を責めたくなったら、ちょっと立ち止まるといいのかも
自分は何のためにやってるのかな?と
今の自分は幸せに向かってるのかな?と
もし、向かっているのが違う方向なら、変えてみよう
きっちりちゃんとやるより、心と身体がほころぶような生き方をしよう
心と身体がほわほわ~~となるクラス開催します
6月のお教室はこちらをどうぞ

