2019年、妻が癌で他界。

残された自閉症息子と父

その日常生活や思いなどを

綴ります。

 

    

息子)

自閉症スペクトラム

療育手帳A判定

現在、特別支援学校 高等部2年

発語はなく、

言葉のコミュニケーションは難

だが、言われていることは、

ほぼ理解できてます。

 

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おはようございます!

 

自分のこれまでの人生を振り返りつつ、、

 

自分の中で、存在の大きな

 

土地について語る(おーげさ!)シリーズです。

 

④軽井沢界隈(北佐久郡界隈)

20代の頃、3年?くらい軽井沢町で

働いてました。

 

(後に家族や息子と訪れた写真と共に)

今ではそこら中に猿が出没して

悪さしたりしてますが、、

当時は、まだ碓氷峠当たり

を走っていて見かけるくらいの

レベルだったかな・・・

 

なにせ、碓氷峠は片峠

    

(とうげ)は、山道を登ってそこから下りになる場所、あるいは山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である。なお、峠の片側にのみ大きな高低差があり、もう一方の側が平坦に近いものを片峠(かたとうげ)という。日本の代表的な片峠としては碓氷峠がある。)

そのためか?気流の影響か?

よく霧がでて、湿度が年中高い!

冬は佐久あたりが晴れてても

雪が舞ったりすることも。。

 

 

当時の交通事情

 

なにせ、住んでたのが

長野オリンピックの前、

当然、新幹線も高速もなく。。

 

横浜の実家に帰るには、、

信越本線の列車で碓氷峠を通る

 

これが補機を列車に連結して

急こう配を上ったり下ったり・・

(横川の鉄道文化村にて、懐かしい「あさま」の前で)

車で行くにも碓氷バイパスやたまには

旧道を通りました。

旧道の途中にはアプト式時代の

信越線の遺構も残ってたりして

楽しいです。

 

今では遊歩道が整備されて

歩けます!

 

旧道は

たまに峠を攻める車もいたりして

ひやっとしますが・・・アセアセ

 

 

当時の軽井沢ライフ

私が働いていた当時、

まだ都市銀行と地方銀行の差があり

お互いのATMが使えない時代。。。

 

旅行で来たお客様に

「都市銀行はどこにありますか?」

と聞かれて

 

「高崎か上田辺りまで行かないと

ないですね~」

と言ったりしたものです。。

 

八十二銀行なら、そこらじゅうに

ありましたが・・・

 

私も横浜銀行を使うのに

高崎支店まで行ったものです。。

 

そんな軽井沢ライフでしたが。

 

休みで暇だと

草津温泉

尻焼温泉

に行ったり

 

菅平でスキーしたり

したものです。

 

山も八ヶ岳や

そこらじゅうの山に登ったものです。。

 

後に息子を連れて

蓼科山に登りました。

(この時の、しんどい経験のせいか

これ以来、山登りは嫌がりますもやもや

 

 

 

そんな、こんなでなにせ

懐かしい地域なので

今でも、ちょくちょく

訪れます。。

(それにしても、草津温泉には

よく行ってますね・・・・)

 

当時、よく食事に行ったお店

今もあり、数年前に行った時は

懐かしくテイクアウトしました。

 

後は、よく行ったのは

佐久にある「大鷲」!

ここは今年の五月に

息子を連れて行きました。

 

他にも通った飲食店は

ありましたが、、

なくなった店も・・・

よく行った「18番」

当時は東部町にありました。。

 

 

傍にいつも浅間山

大体、どこに行っても

浅間山が見えます。。

群馬側からも佐久平側からも

よく見えます。。

 

 

上田界隈

菅平のスキー場にも働きに

行っていたので、上田にも

よく行きました。

 

スカイラインの新車を買ったのも

上田でした。

当時は、まだ上田城も今ほど

整備されておらず。。。。

今では大河ドラマもあり

ずいぶん、きれいになりました。

 

真田町も盛んに行きました、が

真田本城なんかには

眼もくれてませんでした。

(城跡で息子と格闘する妻)

 

そんな、こんなで

東信地域には

並々ならぬ?

郷愁の念がありますね!

 

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息子の問題行動に対してどう対応したら、どうなったか?が本になってます。

 

 

 

 

妻が癌になり私たち家族に起きた、あれこれを書きました。

 

 

 その結果、テレビ取材を受けました。