ぜんぶ「肉」のせいです。
学校教育を卒業して久しいですが、学校には「授業」というものがありました。
先生が前に立って黒板を使って何かを説明するアレですね。
大学に入っても、「講義」という形で、授業という名のカルチャーは続きました。
ある大学の教授が、こんな実験をしたそうです。
同じ講義を、AクラスとBクラスの二つのクラスで行いました。
どちらのクラスも学力レベルは似通っています。
Aクラスでは、講義内容をすべてプリントにまとめて、そのプリントを学生に配布し、プリントを読みながら、すべて口頭説明で講義を進めました。
Bクラスでは、プリントの類は一切配らずに、講義内容はすべて黒板に板書して講義を進めました。
Aクラス、Bクラスともに、講義が終わった後、学生が内容を理解できているかを確かめるテストを行いました。
その結果ですが、なんと学生の理解度に大きな差が生じたというのです。
どちらのクラスの方が、理解度が高かったのでしょうか。
少し考えてみてください。
結果は、すべて板書しながら講義を進めたBクラスの方が、学生の理解度が高かったそうです。
理由は、よくわかりません。
でも、結果を見る限り、そうなっているのです。
この話を聞いたとき、実はとても腑に落ちました。
私の経験を振り返ってみても、プリント授業よりも、黒板授業の方が分かりやすかったです。
なぜかは分かりませんが、プリントに印刷されている活字よりも、自分の手で書き写したノートの方が覚えやすいのです。
愛着が湧くのかどうかは知りませんが、確かに自分のノートの方が覚えられるのです。
無機質なインクのしみと、自分の手で書いた肉筆の文字。
脳みそフレンドリーなのは、明らかに肉筆だったのです。
私は、この現象を「肉のちから」と勝手に名付けています。
むかし偉い先生が「お肉には幸せ酵素が宿っているから、ありがたく頂きなさい」と言っていましたが、肉には何かこう、不思議な力があると信じています。
食べ物としての肉と、自分の身体としての肉では、微妙に意味が違うかもしれませんが、私はこの「肉」という文字が好きなのです。
なにより「肉筆」という響きがよいです。
肉筆、肉汁、筋肉・・・
どれもよだれが出そうな、耳ざわりのよい言葉です。
何を言っているかわからないかもしれませんが、肉には魔力があると思っています。
肉欲、なんていう言葉もあります(お肉たべたい欲、ではありません)。
とてもいやらしい響きがします。
それもこれも、ぜんぶ「肉」のせいなのです。
私がコンタクトレンズをしないのは、肉眼が好きだからです。
本を読んでいて気に入ったら、その本の著者の肉声を聞きたくなります。
肉声を聞けば、本の内容がもっと理解できるようになります。
まるで本に刻まれた、いち文字いち文字が、著者の肉声を伴って私に語りかけてくれるかのような感じがします(言い過ぎかも)。
「果物入りジュース」と言われても、あまり興味をそそられません。
でも、「果肉入りジュース」と言われると、心がときめきます。
肉には魔力が宿っているのです。
