だああああああああい、きらい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書をしていたり、ブログなどを読んでいると

 

 

「これって、どういうこと?」

 

 

と疑問を感じるときがあります。

その疑問は、ぜひ大切にしたいです。

 

 

 

 

 

 

はっきり言って、本を読んでいたり、ブログを読んでいると、理解できないことだらけです。

というか、納得できないことだらけです。

他人が書いている文章ですから、それは当然のことだと思います。

それで、いいのです。

それが、いいのです。

 

 

 

 

 

 

大事なことは、「何が書いてあったか」ではありません。

「誰が書いたか」でもありません。

その文章を読んで「自分は何を受け取ったのか」が真に大切なのです。

 

 

 

 

 

 

たとえ、書いた人の意図した内容を正しく理解できなかったとしても、読んだ本人が「私はこう思った」とつかみ取れたのなら、それがいいのです。

 

 

 

 

 

 

ノーベル文学賞を受賞したJ・M・クッツェーという人が書いた本の中に、こんな感じらしきフレーズがありました(詳細は忘れました)。

 

 

「小説家というのは、書いたこと以上のものを読者に与えるものだ」

(たしか『動物のいのち』とかいう本だった気がする・・・)

 

 

 

 

 

 

本の中では、唐突に上記の一文が出てきて、補足の解説などはありませんでした。

解説がなかったので、私が最初に読んだときも「何を言っているんだ? どういうこと?」と思いました。

「書いたこと以上のものなんて、あるわけないだろ」

そう思いました。

 

 

 

 

 

 

でも、今考えると、なんとなく意味が分かるのです。

たぶん、こんなニュアンスだと勝手に思っています。

 

 

 

 

 

 

小説家として、書けるものは出し切った。

しかし、それをそのまま読者が受け取るとは思わない。

それぞれの読者が、自分なりの受け取り方をするだろう。

そして、その受け取り方こそ、ベストであると思う。

 

 

 

 

 

 

受け取り方なんて、それぞれでいいのです。

自分で読んでみて、自分で読解したものだけが、自分にとって価値あることなのです。

 

 

 

I love you.

 

 

 

そう書いてあったとき、自分以外の全ての人類が「愛してる」と読解したにもかかわらず、自分だけは「だあああああああい、きらい」と読解してしまった。

そんなことがあっても、いいじゃないですか。

それがなければ、「月が綺麗ですね」は生まれないのです。

 

 

 

 

 

 

これを勘違い力と呼ぼう。

ぜひ勘違い力を鍛えたいものですね。

勘違い力だけは、負けるわけにいかないんだぜ。