それは、何時もと同じ残暑が厳しい2013年9月4日の朝から始まりました。
何時もと同じ時刻のバスと電車に乗って、南海電車の難波駅に午前9時前に着きました。
その日は水曜日で、勤務する会社の本社が定休日の為、留守番の営業関係の者が同じ電車に乗っていたのを覚えています。
電車に乗っている時には何もなく、ホームに降りた時に“何かがおかしい”と思いトイレへ行きました。
トイレの鏡で自分を見たとき、第1ボタンが外れいるのに気づき、両手でボタンを留めようとするが、右手と左手が上手くかみ合わないので焦りました。
何も出来ず!トイレから出て家内に電話をし、事情を話している自分の体が斜めに傾いてきました。
「何かがおかしい!」と話すと、家内が「電話している時ではない!自分で電話せず!駅員さんに救急車を呼んでもらって!」と言うので電話を切りました。
駅員さんに「私は、もうすぐ倒れるので救急車を呼んでください。」と言って、出してくれたイスに腰掛け、免許証を駅員さんに渡しましたけど、確かに、左手で右側後ろのポケットにある免許証を出したと記憶しています。
その後、仕事場へ電話をして上司に「今から病院へ救急車で向かいますので、仕事に行けません。」とだけ言って電話を切りました。
数分して救急車が着き、今までの流れを救急隊の方に自分で説明しているのも覚えています。
なんばシティの中をタンカーで進み救急車の中へ。
“心電図”、“血圧計”等をセットされた後、救急隊の方から掛かり付けの医院等、希望する病院は有りませんかと聞かれたけど、同僚が入院して見舞いに行った時に、何かあったら『富永病院』と言うのを忘れてしまい、「お任せします。」と言ったのを覚えています。
救急隊員の方の後ろで点滅している数字!ピポン!ピポン!と異常を知らせる数字“200”は血圧の数字であったと思います。
行き先を調べていた隊員の方が「行き先が『富永病院』に決まりました!」、自宅へ「私から連絡を入れておきましょうか」と言いました。・・・電話出来ない状態だから、電話してくれよ!と思いましたが、『富永病院なら、後はお任せしよ!』と、安堵の気持ちで一杯に。
10分弱で病院へ到着。
今は、午前10時前のはずです。
朝から出勤している先生は、何人で私を出迎えてくれるのだろうか?
扉が開いて、ビックリしました。
外科医を始め、40人ほどの方が私を取り囲み、質問の嵐になる。
血圧が下がるのを待ってか、少し時間を置いた昼頃からの手術になり、家内と息子が手術の立ち会いになりました。
【左側頭(左耳後)部を開頭し、脳内出血を手術する】
朝になって、“ぶら下がっている右手”を見た時、“悪夢”から、現実に引き戻されました。