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リポチカランでの生活を

ゆったり まったり のほほーんと

気ままにUPしていきます(*^^*)

初孫が、3月下旬に生まれる予定で

去年、三女の妊娠がわかってから


初孫 午年馬 長女次女の双子っち 

午年馬 私の父 午年馬 ラブラブラブラブラブラブじゃん

なんて


ワクワクドキドキ浮かれていたら…




今年に入ってからなんだか父からのLINEが今までにはない感じで気になっていたのだけど、自分の誕生日が過ぎた時に、父と電話してたら

なんとなくやっぱり違和感があって…


母の時もそうだったけど、なんとなくの私の勘は当たる。



当たってほしくないのに

当たってしまった私の勘…


父から聞き出したくて、

「大丈夫だから。」と言った手前どんな言葉が返ってきても冷静でいなきゃと…思って聞いたら

「肺がん、ステージ4ということが今年に入ってわかった。」と

突然すぎて意味わかんないのに…

「わかった。大丈夫なんだよね?」

と電話を切った。

冷静に聞いたよ。

だけど、突然すぎて頭の回路が追いつかない泣

母が、私が28歳の時に膵臓がんで他界してから、私の親は父しかいなくて、私は勝手に父は不死身だ、100歳まで生きるんだと思い込んでた。



インドネシアで仕事をする旦那さまについてきた時点で、海外にいる以上親の死に目には会えないと覚悟はしていたのだけど、私が本帰国するまでは元気でいてくれると思っていただけに、ショックが大きくて…ガーン


父本人は、何度話しても、自覚症状なくて「普通に生活してるから大丈夫。帰ってこなくていいよ。3月に話そ…」って言うから、私もそのつもりで仕事してるのだけど、平常心装っているだけで、やっぱりどこか動揺してるんだろうね。


仕事で、メッセージの読み間違えや送る相手を間違えると言う凡ミスが続いてる悲しい


物事には順番があるのはわかってるよ。


でもなんで、よりによって父も癌なの?


母が早くに亡くなって、その時の辛い記憶がフラッシュバックするのよね魂


長男が生まれてすぐに、母の余命宣告。


長男抱えて、病院往復したり、最後の最後まで自宅にいたから、その時の事や母がやっていたお店の後片付けを長男背負って、一人泣きながらやっていた事とか…


まぁ、普通の人は経験しないようなことを私の人生は経験してきたのだけど、ここに来てまた、こんなことが起こるなんて、思ってもみなかった悲しい


父は、抗がん剤治療も放射線治療もしないと決めているらしく、その時が来るのをただ待つのみ。


仕事を辞めて、父のそばで過ごしたいと思う気持ちと、母の時にそばにいた時のあの時の感情を思い出すから側にいることが、つらいという気持ちがあるから考えないようにしてるのに、無意識に考えてしまって仕事に集中ができていないのだと思う。


父からしたら、私はどんな娘だったのかな??


親の言うことを聞かない、自分勝手に生きてて心配ばかりかけるヤンチャな娘だったのは自覚してる。


はたして、父と母が思い描いてた、娘になったのだろうか!?


この12年はインドネシアと日本と行ったり来たりで、ほぼ父とは会っていない。


私が幼い時は、父が仕事であちこち飛び回ってたし、多分側にいて一緒に生活するより、遠く離れてたまーに会うが普通だったと思う。


だけど、居て当たり前で元氣でいるのが当たり前で、会いたい時に会えるのが当たり前だったから、突然ステージ4って聞かされても…もやもや


去年10月に会った時は、元気に一緒に山の上にある神社にも歩いて登ってるし…


毎日元氣に4キロウォーキングしてるって聞いてたし、病院も定期的に通院してたからまさか、そんな報告を受けることになるなんて思わなかったよあせる


人生いろいろって言いますが…


私の人生いろいろありすぎて、これが正解だったのかいまだにわからない。


突然の告知に動揺してるのは、誰よりも本人である父だから、私はしっかりとその事実を受け止めなくてはいけないんだよね。


父が、思うことやりたいことリストは書いた。と言っていたから、それを見ながら昔話でもしましょうかね。

母との思い出、父との思い出を話すことが、父が居なくなるとできなくなっちゃうからハート


そんなダメージを喰らったからか私は、何故かコロナでもインフルエンザでもないのに高熱に味覚・嗅覚障害中で寝込んでます叫び叫び叫び