「思いもよらず新車購入」①(トラブル編)



2025/8/5


あ~暑い!

呼吸するにも息苦しい暑さ。

最近は毎日アイスクリーム食べて涼んでます。


さて先月中旬、夜のこと。

夫が最寄駅へ部活で帰りが9時過ぎになる娘を迎えに行く途中、我が家にまたしても「壊れた事案」が勃発した。

購入して14年目の車、東日本大震災の起きた年の1月に発注して、震災2週間後に納車したエスティマに「エンジン警告灯」が点灯した。

↓同車種、TOYOTAのサイトより拝借しました。

4人家族だったのが、思いがけずその年の6月に次男を出産予定になり、2年乗ったMARK Xから急遽エスティマに乗り換えた。

警告音と共に警告灯が点いた色はオレンジ色の注意。夫は「交差点で点いたから、止まるかもしれないと思って焦った!」と帰ってきて開口一番報告してきた。赤色の警告じゃなかっただけでも、これ幸い。

ダッシュボードにしまってあった分厚い「取扱説明書」を持ってきて調べると、3つあるセンサーのどれかが異常をきたして点灯したみたいだった。

来年3月に車検の予定で、

「とうとうガタが来たか。そろそろ車買い換えないといけないか……。」

と夫が言い出した。私も経験測からして、

「そうだね、買い換えよう!」

と返事。まだ走行距離は4万kmも走ってないのに、ヘッドライトは劣化して濁り、ドアパッキンが痩せてきたり、プラスチック部品の色褪せなど経年劣化には勝てず、そろそろ限界なのかも。

翌日、取り急ぎ点検してもらうのに車を販売店へ持っていくと、燃料からエンジンへの供給センサーが異常感知していた。部品が近くのパーツセンターにないので、他の倉庫から取り寄せることになり、2日後に再度修理に出した。

そのとき「そのうち買い換える予定」と営業マンへ伝えてから、1ヶ月も経たないうちに新車購入することになるなんて……。



運転免許を取って32年になる。

思い返すと車にまつわる「死ぬかと思ったこと」や「故障」の経験は、同世代の友達に比べたら経験値は高めと自負している。

独身時代、実家にいた頃はアウディに乗っていた。車を2台所有してたので、このアウディ1台が、実家へ帰る手段として、私の嫁入り道具のひとつとなった。(駐車場代を浮かせるため親は持たせた!)

このアウディはドイツの車ゆえ、日本の高温多湿な気候と、渋滞しまくる首都圏での生活環境に全くそぐわない車だった。

ドイツ車の弱点を実感した出来事は、事を欠かない。

真夏の週末に、渋滞した国道246号線の桜新町を走行中、隣のトラックの運転手が、窓を開けて私に向かって指差してアピールしていた。その先を見ると、エンジンルームから煙が吹いてオーバーヒートしてるじゃん驚き本当にこんなことが起こるんだ!

その前兆に、エンジン温度のメーターがオーバーヒートする寸前だったので、エンジンルームを開けたらラジエーター液が減っていた。カーショップで減っていたラジエーター液を追加したばかりなのに。

煙に驚いて車を左車線に停めてボンネットを開けると、ラジエーターのキャップが外れていて液は空っぽ。車を停めた目の前の中華料理屋さんにお水分けてもらう助けを求め、ボウルに水を分けてもらい、ラジエーターに水を入れたらエンジンが掛かったのでそのまま友達の家へ行き、なんともなく帰ってきた。

翌日、ヤナセへ行き点検すると、ゴムホースも焼けてしまい、ラジエーターをそっくり交換修理となった。

渋滞によりオーバーヒートしたのか、エンジンの異常かが原因かはっきり判らなかったけど、あちこち故障すると交換する部品は輸入品で、しかも修理代も高い。常に故障するかもしれない不安を抱えながら乗るのは精神的にもやられる。今後もこんなことが起こりうるので、父に頼んでJAFに入会してもらった。

こんな車でも、車なしではいられないので、我慢して直し直し乗っていた。


トラブルは前述のように突然起きること数回。その中でもこのアクシデントはトップクラスの出来事であると共に、JAFの「ありがたみ」を心から実感した。

祖父母の住む新潟県の魚沼へスキーを滑りに行く途中、ホント散々な目にあった。

今でも覚えている25年前の1月。成人の日の振替休日のある3連休目前の金曜日。

会社が終わってから、一期上の先輩と当時交際していた彼氏の3人で、私がアウディを運転して出発。

夜中の12時を過ぎたころ、関越自動車道の12kmも長さのある三国トンネル手前でトンネルへ入る信号が赤になり、それにともない渋滞して停まっていた。群馬と新潟県の境なので、もちろん回りは雪が積もっている。もうすぐトンネルに入る寸前で事件が起きた。

追い越し車線でトンネルに入るのに待機していて、青に変わりアクセルを入れた瞬間、突然エンジン警告灯やスイッチ類が全部点灯して、ガクンと急停車。キーを回しエンジンを始動しても、セルが回らなくなり車は完全にストップしてしまった。慌ててハザードランプを点け、三角灯をトランクから出して、後ろの車にアピール。(三角灯なんて、この時初めて使ったよ!)

JAFに連絡して待っていると、追い越し車線に停まる悲惨な車を左車線から抜かしていく車から感じる冷たい視線。その先にある谷川岳P.Aの気温計が見えて、外気温は-8℃と表示していた。もう身も心も情けなくて凍っていた。

雪の降る中、凍えながら1時間近くJAFを待ち、後方からJAFが現れたときは心から安堵した。

JAFの隊員さんがエンジンルームを開けてみる。運転席に座りキーを回してもエンジンが入らないので、バッテリーではなくタイミングベルトが切れたと仮判断。修理は出来ないので、谷川岳P.Aから緊急通路で高速道路から下り、水上I.Cへ戻る提案を受けた。前輪を上げて牽引されそこに3人乗ったまま国道17号線に下り水上I.Cまで戻った。JAF隊員さんと共にお願いして、管理事務所の駐車場に翌日まで停めさせてもらった。

このときの優しい対応をしてくれたJAFの隊員さんは感謝しきれず、もう神に見えたのを覚えてる。


また救援要請したのはJAFがだけでなく、山向こうの魚沼に住む従兄弟にも連絡を入れていた。水上I.Cで放り出されても、もう足はない。夜中の2時に迎えに来てもらった。

こんな急な要請でも従兄弟は嫌と言えるはずもない。従兄弟は、同乗していた一期上の先輩と交際していたから。前年の秋に観光で新潟へ行った際、意気投合して横浜と新潟の遠距離恋愛を始めていた。

先輩と、当時交際していた彼氏と3人でスキーに行くはずが、この事件でスキーどころではなくなった。


翌日、故障車を置いた水上I.Cまで祖父の車を借りて、JAFに牽引を予約しておいた牽引車と管理事務所で待ち合わせた。牽引車と2台連なって高崎のヤナセまで持って行き、ここで修理するので手続きして、また車で魚沼まで戻った。先輩と彼氏は従兄弟のもとに置いて、3人はスキー。先輩を置いて、新幹線で私だけスキーも滑らず帰ってきた。(当時は、何しに新潟へ行ったんだ!と怒ってた記憶が……。)

故障から一週間後の週末。父と一緒に高崎のヤナセに車を取りに行き、直った車に私が乗って、やっと川崎の実家にアウディは帰還した。

とんだアウディによる災難は、その後も続いた。


JAF隊員の所見故障予想は、見事にご名答。その「タイミングベルト切れた故障」から3ヶ月後、5年近く付き合った彼氏とはある事件が発覚して「さよなら」した。

先輩はその年の秋に従兄弟と結婚して、横浜から魚沼に嫁に行った。

今では従兄弟夫婦の次男が、横浜の先輩のご実家に住み、都内の大学に通っている。



話を始めに戻そう。

こんな過去の経験をしているからこそ、1回のエンジン警告灯から修理しても、またどこでどう壊れるか判らない。

次々トラブルがこれから起きることが想像できたので、14年乗っているエスティマから次に乗る車を考え始めた。


思い出した記憶が溢れて、話が逸れてしまいました。

長すぎたので、このブログ回を

「思いもよらず新車購入」①(トラブル編)

にして、次回②へ続きますダッシュ