すこし前に、マドモアゼル愛さんによる
「月」の考察が話題になりましたが


私の月星座は牡牛座です。






牡牛座は五感、所有の星座。

それらが欠損している、
全く持ち合わせていない、
ということになります。












当時はあまりの衝撃に
しばらくはなかなか受け入れられなかったのですが
最近になってようやく、

あれまあー。
そうかもしれんなあー!

と、ふにおちてきました。







私はこれまで、
自分の五感は発達しているものと思っていて
あらゆる感性がある、
とおもっていた。


でもよくよく考えてみたらば

それらは、
「持たないがゆえの欲」
からきている欠乏感や

なんとかして手にしていたい!
という執着による面が
あったからなのかもなあ、と

ふと飲み込んでみることができたのです。







錬金術師にとっての五感は
かなり重要な要素で

地球においてのそれは
あらゆる物事を紐解く鍵となります




それが全くないとなると、
いやはや・・・
研究に支障をきたすどころが
仕事になりませんのです。








しかし、職業柄
追及と分析は必須。



何らかの形で、
データを採集せねばなりません。




それは自身の体をつかって、だったり
生活のなかで感じる何かを
察知する能力を用いておこないます。








月が、幻想であるとしたならば

幻想のなかに情報をみることになります。


それは果たして真実なのだろうか???





月に残された道は、
「純粋さ」という活用です。

活用しようにも、
それによって行う実行力は形にならないので
あくまでも
「そういうピュアなお気持ち」を
もっている、という純粋さです。





こういったピュアさは潜在意識にあるので
大衆の意識にするりと入り込む。

そうすると、
「大衆的な」データはとれる、
ということになる。





それが真実か?という点においては

あくまで幻想の中のことなので
自分にとっての真理であるとは限りません。



普遍的なものが持つパワーを使うには
やっぱり太陽なんだよなあ、
と思います。





私の太陽星座は乙女座にあります。





牡牛座でもって欠損された
「五感」や「所有」を

乙女座による
「分類」「分析」によって消化することが
太陽にむかう道なのかも、と考えたのです。







そうして思い返してみると、たしかに
「あじわう」という感覚は
結構たいへんなこともあるし
どうしても客観性がない。

分析、分類において大切なのは
主観的な視点と
客観的な視点をもつことです。

どちらからもみた上で、
改めて値やデータをラベリングする。

もちろん、
それらの保管やメンテナンスも欠かせません。



こうした乙女座的な要素によってあつかう
「五感」を通した情報は
後に何かのヒントとなるであろう、
データとして蓄積されます。



そのなかから、
適宜必要なものをピックアップしてつなぎ
新しい解を導く。

というのが
私の行っている研究の内容です。










牡牛座の月で欠損されたものたちを追うのではなく
受け入れたうえで、

乙女座の太陽へと昇華させる。




欠けたものがあるのは
人間的でもあるのですが、
ないものを求めるのは欠落を強めるばかりで

これまでの満たされない感覚をみてみると
たしかに、
いつまでも蜃気楼を求めるようで
とってもしんどいばかりだったなあ
と思う。





こうしてみると

太陽を使うことによって
社会で立つことにつながる、という
現実世界を生きる力になることを
なんとなく納得することができました。










月は、幻想と現実をつなぐ船でもあるので

いつかは私も月に還るときがくるのかもしれないし

一時的なオアシスとして
寄港するのはよいのかもしれないけれど



人間としてこのように地球にいきている今は
やっぱり
現実上の地球で
色々実現していってみてもいいのかもなあ、と


サバイブする決意がなんとなく定まっています。











錬金術師